随筆相川

スウェーデンボルグの著作との出会い
                                  
相川郁夫

私は2年ほど前に、ネットで日本スウェーデンボルグ協会について知り、会員になりました。今回は、自己紹介を兼ねて、私がスウェーデンボルグの著作に親しむようになった経緯について述べたいと思います。
私は幼い時から「死」、「人は死んだらどうなるのか」などについて興味を持っていました。10代頃には今村光一氏の本でスウェーデンボルグを知ったと思います。その時は、スウェーデンボルグという人は霊界を見てきた不思議な人物という程度でした。
 私は27歳でプロテスタントの洗礼を受けました。入信動機は劇的な「救いの体験」というものではなく、キリスト教こそ唯一の信じられる宗教と思ったからです。その頃はまだ、聖書も教義もよくわからず、礼拝や信仰の書などで学んでいきました。
 キリスト教に入信する前から、神とは霊界、大宇宙、人類を創造された唯一の絶対的なお方であるという思想をもっていました。しかし、キリスト教の教義、「父、子、聖霊の三位一体論」、「身代わり贖いの救い」、「主を信じない者は滅びる」など理解できない問題をかかえていました。
 教会では、「父なる神は、独り子イエス・キリストを十字架にまでつけて…」などの説教、祈りが一般的でした。明らかに三人の神がいるとしか考えられないものです。
 また、愛そのものであられる神がなぜ、御子を十字架につけるのかという質問には、神は愛でもあるが義でもある。だから罪は、血を流さないと赦されないのだというのが教会の答えです。
 このような悩みの中にあった時、書店で再びスウェーデンボルグの教えに出会ったのです。高橋先生の本だったと思います。まず、彼が不思議な体験をしただけの人ではなく、多才な人物であったことを知りました。私は特に彼の神学思想に興味を持ちました。高橋先生の解きほぐされたおおまかな彼の神学程度でしたが。
その後、高橋先生が「たま出版」などから出されているものをつぎつぎと読んでいきました。それから「アルカナ出版」を知り、原典訳を何冊か読むようになります。
 しかし、彼の著作は通読しただけでは理解できず何度も読みたいと思っています。また、彼の著作の解説書みたいなものがあれば、うれしく思います。
 私が彼を信頼する大きな理由のひとつに『私の宗教』があります。あのヘレン・ケラーがこのような本を書いていたとは全く知らず、何度も読み返しました。まったくヘレンの言うとおりだと思います。
 聖書については、一字一句、誤りなき神のみことばであるというのが教会の教えです。だいたい日本人の大半は、口語訳、新共同訳、新改訳、カトリックのものなど和訳された聖書を使っています。このため聖書によって言い回しも異なっており、ヘブル語、ギリシャ語文法などもどうなっているかなかなかわかりません。
また、「聖書の矛盾」も明らかです。やはり、ここには、霊的な意義が隠されていると考えるのが理性的ではないでしょうか。
そして、17~18世紀ではあっても預言者として、スウェーデンボルグが出現しても不思議ではないと思います。
以上の他にもいろいろあるのですが、今後、会員の皆さまとの交流をとおして、スウェーデンボルグの教えについての理解を深めていきたいと思っています。