結婚

結婚の本質と起源

 真に結婚的な愛の起源は、教会に対する主の愛である。したがって、主は聖言の中で「花婿」また「夫」と呼ばれ、教会は「花嫁」また「妻」と呼ばれる。一般的にも個別的にも、教会が教会であるのは、まさしくこの結婚からなのである。個別的には、教会とは、その中に教会が存在する人である。ここから主と教会の人との結びつきが、真に結婚的な愛の起源であることが明らかである。しかし、その結びつきがどのように起源となり得るかは、また述べられなくてはならない。主と教会の人との結びつきは、善と真理の結びつきである。主から善があり、人に真理がある。ここから天界の結婚と呼ばれる結びつきがある。この結婚から、真に結婚的な愛が、主とのそのような結びつきにある二人の結婚相手の間に存在する。この結びつきは相互的であるから、彼らは主の中にあり、主は彼らの中にあると主によって言われている。(ヨハネ、14:20)。(『啓示による黙示録解説』983)

結婚の神聖さ

 結婚がそれ自体、すなわち創造から、いかに神聖であるかは、それが人類の苗床であるという事実から理解できるであろう。また天使的天界は人類から存在するので、結婚は天界の苗床でもある。したがって、結婚によって地上のみならず天界も居住者によって満たされる。また創造全体の目的は人類であり、かくして天界であるので、そしてそこでは神そのものがそれ自身の内に、あたかもそれ自身で宿るので、また神の秩序にしたがった人類の産出は結婚をとおして成し遂げられるので、結婚がそれ自体いかに神聖であるか、すなわち創造から、いかに結婚が神聖と見なされるべきかは明らかである。(『啓示による黙示録解説』988)

霊に性別がある

 人は死後も人として生きるし、人は男性と女性であり、男性性と女性性は別物で、両者は非常に異なっているので、一方から他方に変ることはない。したがって死後、男性は男性として、女性は女性として、それぞれが霊的人間として生きることになる。・・・(男女の)違いは次の点にある。男性性の最内奥の性質は愛であり、それを英知が覆っている。言い換えると、それは英知で覆われた愛である。他方、女性性の最内奥はその同じ英知、男性性の英知であり、そこから来る愛が覆っている。この第二の愛は、しかし、女性的愛であり、それは主によって夫の英知をとおして妻に与えられる。しかるに、第一の愛は男性的愛で、賢くなろうとする愛であり、英知を受け入れる程度に応じて、主によって夫に与えられる。(『結婚愛』32)

天界における結婚

 天界は人類から成る。したがって、そこには両性の天使がいる。そして創造により、女性は男性のために、男性は女性のために、一方が他方のために存在している。そしてこの愛は両性において生得のものであるから、天界には地上におけると同じように結婚があるということになる。しかし、天界の結婚は地上の結婚と大きく異なっている。・・・天界における結婚は、二人が一つの心に結ばれるということである。最初にこの結合の本質を説明する必要がある。心は二つの部分からなる。一つは知性であり、もう一つは意志である。これら二つの部分が一つになって動くとき、われわれはそれを一つの心と呼ぶ。天界においては、夫は知性と呼ばれる役割を演じ、妻は意志と呼ばれる役割を演じる。人の内部に属するこの結合が、身体に関わるより低いものに降りてくるとき、それは愛として理解され感じられる。この愛が結婚愛である。ここから、結婚愛は二人が一つの心に結ばれるところにその起源があることが明らかである。天界においては、これは共住と呼ばれる。そしてそれは彼らは二人ではなく一人であると言われる。このように、天界においては結婚した二人は、二人ではなく一人の天使と言われる。(『天界と地獄』366、367)

天界では子孫は生まれない

 天界の結婚は次の点で地上の結婚と異なる。地上の結婚は子供を生むという目的もあるが、天界においてはそうではない。子供が生まれるかわりに、善と真理が生まれる。この置き換えは、その結婚が善と真理の結婚だからであり、この結婚においては、両者の結合と同様、なによりも善と真理が愛されるからである。したがって、これらが天界の結婚によって増えるもなのである。これが聖言において、出生や産出が霊的な出生や産出、つまり善と真理の産出を意味する理由である。母と父は善に結合した真理を意味し、それが産出するものであり、息子と娘が産出される真理と善を意味する。ここから、天界の結婚は地上の結婚と似ていないことは明らかである。(『天界と地獄』382)

死後の夫婦の状態

 夫婦は、ほとんどの場合、死後に再会し、互いに気づき、交際し、しばらくは一緒に住む。それは第一の状態で起きる。つまりこの世で送ったような生活の外面が続いている間に起きる。人には、死後、外部と内部という二つの状態がある。最初に外部の状態を経験し、次に内部の状態を経験する。・・・二人がこの第一の状態にある時、一方は他方が自分にどのような感情をもっているか知らない。なぜならこのような感情は、内部に隠されているからである。しかし、二人が内部の状態になったとき、その感情はおのずと明らかになる。そして、もしその感情が調和的で心地よいものであれば、二人は結婚生活を継続する。しかし、もしその感情が不調和で不快なものであれば、結婚生活は終了する。(『結婚愛』47)

真の結婚は永遠に目を向ける

 真の結婚愛の内にある人々は、結婚の永遠性に目を向ける。結婚愛の内にいない人々はその反対である。真の結婚愛の内にある人々は、永遠に目を向けるが、それはこの愛の内に永遠性が含まれるからである。その永遠性は、妻にあるこの愛と、夫にある知恵が永遠に成長し、そしてこれらが成長し進歩するにつれて、お互いはいっそう深く天界の祝福の内に入っていく、そして祝福は知恵とその愛の中に隠されているという事実によるのである。したがって、もし永遠という概念がもぎとられるなら、あるいは誤って彼らの心から滑り落ちるなら、それはちょうど天界から投げ出されるようなものであろう。(『結婚愛』216)

結婚愛は永遠に完成され続ける

 真の結婚愛は永遠に持続するので、妻はますます妻になり、夫はますます夫になる。その主たる理由は、真の結婚愛による結婚においては、配偶者はますますいっそう深く人間的になるからである。というのは、結婚愛は彼らの心のより深い局面を開くからである。そしてそれらが開くと、人はますます人間的になるからである。より人間的になることは、妻の側においては、よりいっそう妻になることであり、夫の側においては、よりいっそう夫になることである。(『結婚愛』200)

結婚愛はすべての愛の基礎である

 結婚愛は、天界と教会におけるすべての愛の基礎となる愛である。なぜなら、それは善と真理の結婚から生じるからである。そしてこの結婚から、人において天界と教会を形成するすべての愛が生まれてくるからである。この結婚における善から愛が、この結婚における真理から知恵が生まれる。そして愛が知恵に加わるとき、あるいは知恵と一つになるとき、愛は愛になる。また逆に、知恵が愛に加わるとき、あるいは愛と一つになるとき、知恵は知恵になる。(『結婚愛』65)

結婚愛を受けるための必要条件

 主から結婚愛を受けとる人々、すなわち直接主に近づき、主から教会の生活をする人々でなければ、だれも真の結婚愛の中にいることはできない。なぜなら、この愛は起源と照応から見て、天界の天使あるいは教会の人々のいかなる愛にもまして、天的、霊的、神聖、純粋、清潔であるからである。そしてこれらの特質は、主に結ばれ、主によって天界の天使とつながりがある人々以外には存在しえない。その理由は、このような人々は、正当な妻あるいは夫以外の人間との交渉である婚外の情事を、魂への傷害行為として、また地獄の汚物だめとしてひかえるからである。そして結婚した人が、意志の欲においても、これが生み出す意図においても、そのような交渉をひかえればひかえるほど、それだけ結婚愛は浄化され、累進的に霊的になる。最初はこの世の人生において、次には天界においてそうなるのである。(『結婚愛』71)

再婚について

 配偶者の死後に再婚するかどうかは、以前の結婚愛の状態如何による。真の結婚愛は、いわば再婚への気持ちを測る天秤である。以前の結婚愛が真の結婚愛に近づいていればいるほど、再婚への気持ちは消えていく。以前の愛が真の結婚愛から離れていればいるほど、再婚への気持ちは強まる。その理由は明白である。結婚愛は心の結びつきであり、それは一方の死後も他方の肉体の生活においてとどまり続ける。この結合は、その気持ちをあたかも秤の針のように保持する。それは真の愛が抱かれた程度に応じて秤を傾けるのである。(『結婚愛』318)

天使の美しさは結婚愛に由来する

 真の結婚愛は天界の像である。そしてそれが来世で表象されるとき、これは目が見、心が考えうる最も美しいものによって行われる。それは光り輝く雲に囲まれた言語に絶する美しい乙女によって示される。そのため、彼女は本質と外観における美そのものと言えよう。私は、結婚愛は来世におけるあらゆる美の源泉であり、その情愛と思考はあたかもルビーやガーネットの輝く光の帯によって表象されると聞いたことがある。これらの光景には、彼らの心の最深奥を揺るがす喜びが伴う。しかし、そこに何かみだらなものが入ってくると、それはたちまち消え失せてしまう。(『天界の秘義』2735)

幼児への愛の起源

 結婚愛のスフィアは女性によって受け止められ、女性を通して男性に伝えられる。というのは女性は男性の知性への愛の形に生まれ、知性は受け皿だからである。それは幼児への愛についても同様である。なぜならこれは結婚愛に起源があるからである。母親には幼児へのとても優しい愛があるが、父親にはそれほど優しい愛がないことをだれでも知っている。幼児への愛は結婚愛に刻印されており、女性はその中に生まれることは、幼児や保有する人形、ドレス、キスと親しい抱擁に対して少女が抱く情愛深い友好的感情から明らかである。(『結婚愛』393)

幼児の無垢の減少と親の愛

 幼児の無垢が減少するにつれて、愛情と結びつきもまた減少し、ついには分離にまで至る。人々は、幼児への愛、あるいは親の愛は、子供の無垢が減少するにつれて、親の内部から減少していくこと、そして人間の場合は、子供たちが家から離れていくことになり、動物や鳥の場合は、子供を追い出し、自分の子供であることを忘れるまでに至ることを知っている。このことからまた、一つの証拠として、両者に流入する無垢が、親の愛と呼ばれる愛を生み出すことがわかるであろう。(『結婚愛』398)

  

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