最古代教会

最初の教会すなわち最古代教会

 本教会は、これまでの地上におけるいかなる教会にもまして神に由来する教会だった。というのはそれは主への愛の善の中にあったからである。彼らの意志と知性は一つであり、したがって一つの心をつくりだし、それゆえ彼らには善からの真理の直観(perceptio)があった。というのは、主は内部の道によって彼らの意志の善に、そしてここから知性の善に、すなわち真理に流入したからである。その結果、本教会は他のいかなる教会よりも「人」、また「神の似姿」と呼ばれた。(『天界の秘義』4454)

 以前存在した最古代教会の聖言は、書かれた聖言ではなく、教会の全員に啓示されたものだった。なぜなら彼らは天的人間であり、親交のあった天使のように善と真理の直観の中にいたからである。彼らはこのように心に刻まれた聖言をもっていた。(『天界の秘義』2896)

最古代教会の礼拝

 最古代教会の人々は、内的礼拝すなわち一種の天界における礼拝以外の礼拝をもっていなかった。本教会においては、天界は自らと一つになるようなやり方で人々と交信した。交信の手段はしばしば上で述べられたように直観であった。したがって、本教会の人々は天使的であり、内的であったので、うわべの身体的なことや世俗の事柄は、もちろん知っていたが、気にかけなかった。むしろ感覚で理解される個々の対象物に、神的なもの、天界的なものを感じ取った。たとえば、彼らが高い山を見たとき、彼らは山ではなく高さの観念を感じ取った。そして高さの観念は、彼らを天界や主へと導いた。このようにして、主は高みに住まわれるとか、主は至高なる方、高貴な方と呼ばれるようになったし、主の礼拝は後に山で行われるようになったのである。その他の現象についても同じである。たとえば、彼らが朝を思ったとき、一日の早いときではなく天界の性質を思った。それはあたかも人の心における朝であり夜明けである。それゆえ、彼らは主を朝、東、夜明けと呼んだのである。同様に、彼らが葉と果実のついた木を認めたとき、その細々としたことは無視して、その代わりにそこに人間の表現を見たのである。愛と仁愛は果実であり、信仰は葉である。・・・天界的な、天使的な人々の思考法とはこのようなものである。(『天界の秘義』920)

最古代教会の人々は天幕で礼拝を行った

 聖言で愛の天的なもの、聖なるものを表わすために天幕(tentorium)が用いられる理由は、古代においては、それぞれが自分の天幕で礼拝を行ったからである。しかしながら、彼らが冒涜的礼拝によって天幕を冒涜し始めたとき、幕屋(tabernaculum)が建てられ、後には神殿が建てられた。したがって、天幕はその後最初に幕屋によって示されたもの、後には神殿によって示されたものすべてを表わした。同じ理由で、聖なる人物は、天幕、幕屋、主の神殿と呼ばれた。(『天界の秘義』414)

最古代教会の人々における直観

 最古代教会の人々には、その意志の中に、主が種を植えつける土地があった。そしてその善から人は真理を知り、感じることができた。あるいは愛から信仰をもつことができた。しかし、もしこれが現在も続いていたら、人は永遠に滅ばざるをえなかった。なぜなら人の意志は完全に腐敗していたからである。種が意志の側にまかれたらどうなるか、また知性の側にまかれたらどうなるかは、以下のとおりである。啓示は、最古代教会の人に、彼が幼いときから善と真理の直観に導かれた手段によって行われた。しかしその啓示は彼の意志に植えつけられたので、彼は新しい教えなしに無数のことを感知した。そのため彼は、現在では人が学んで知らなければならないが結局その千分の一も知らない個々の事項を、一つの一般的なことから、主によって知った。というのは、霊的教会の人は、学んだこと以外は何も知らないからである。そしてこのようにして知ることを真理であると心にとどめて信じる。実際、彼が偽りを学んだとしても、これが心に真理として刻まれるなら、彼はそれを信じる。なぜなら彼にはそれが真理であるという以外の直観はないからである。彼はそのように信じ込んでいるからである。良心のある人は、良心からある種の指示を受ける。しかしそれはそのように聞いたから、そのように学んだからそうだという指示にほかならない。良心はこのように形成されるが、それは偽りの良心をもつ人々から明らかである。(『天界の秘義』895)

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