聖書のシンボル 動物編

犬 (Dog)
教会の中で、最も低い状態の人びと、またはたちの悪い人びとを指す。また、教会の事柄をべらべらしゃべりまくるが、ほとんど理解していない人びとをも指す。あるいは、完全に教会の信仰の外にいる人々、信仰の事柄を口を極めて攻撃する人々を指すこともある。(→「獣」の項参照)例:「ところが、その門前にラザロという全身おできの貧乏人が寝ていて、金持ちの食卓から落ちる物で腹を満たしたいと思っていた。犬もやってきては、彼のおできをなめていた。」(ルカ16:20-21)

いなご(Locust)
いなごは、自然的な人の最外部の事柄を指す。たいてい悪い意味で使われ、自然的な人の最外部にある虚偽、またその虚偽のうちにいる人々をさす。例:「その煙の中から、いなごが地上に出てきた。彼らには、地のさそりの持つような力が与えられた。」(黙示録9-3)(いなご=感覚的な人、あるいはすべての物事を虚偽から判断するような人々が持つような最外層に属する虚偽をさす)エジプトでのいなごによる飢饉は、感覚からの悪と虚偽の侵入により、自然的な人のすべてが破壊されたことを指す)洗者ヨハネの食物としてのいなごは、自然的な人間の真理を指している。

牛 (Cow, Kine, Cow-calf, Herd, Bullock)
自然的、外的な情愛を表す。例:「彼らは乳を飲ませている二頭の雌牛を取り、それを車につないだ。」(サムエルI6:10)子牛という場合は、外的な善を表す。(→羊を参照)

馬 (Horse)
人が乗る動物である馬は、ロバ、ラバと共に理知、合理性を表す。特に白馬は真理の理解力、智慧を表し、赤い馬は悪の欲念からくる理論を表し、黒い馬は廃れた真理の理解、青ざめた馬はその結果の破滅を表す。悪い意味では、馬は自分自身の知恵、ゆがんだ理知からくる科学を表す。例:「ああ、助けを求めてエジプトに下る者たち。彼らは馬にたより、多数の戦車と、非常に強い騎兵隊とに拠り頼み、イスラエルの聖なる方に目を向けず、主を求めない。」(イザヤ31:1)

おおかみ (Wolf)
おおかみはしばしば子羊(無垢)と正反対のものとして、人間の中の邪悪なものを表す。特に、強奪する欲望が狼として表される。また、人びとから真理を剥奪する人を表すこともある。例:「それゆえ、森の獅子が彼らを殺し、荒れた地の狼が彼らを荒らす。」(エレミヤ5-6)

きつね (Fox)
自分自身の分別の中にいる者は狼やきつねで表される。

くじら・レビヤタン (Whale)
海は真理全般を表し、魚や鯨は真理全般の内にいる人の情愛や思考を表す。特に鯨は一般に記憶知を表す。また、虚偽から考えて真理をゆがめることを表す。竜も同じようなことを指すが、竜は自己愛と世への愛から考え、悪の欲念から真理だけでなく善をもゆがめる。例:「あなたは、御力をもって海を分け、海の巨獣(=鯨)の頭を砕かれました。」(詩篇74:13)

獣 (Beast)
動物は情愛を表し、鳥類など空を飛ぶものは思想を表す。獣には二種類あるとされる。危害を加えるものは邪悪なもの、大人しいものは善良なものである。人間の内にある邪悪な情愛は熊や狼、犬などによって表象され、善良な情愛は子牛、羊、子羊によって表象される。肉から出る低い情愛、あるいは外なる人は「野の獣」と表現され、快楽や貪欲を表す。例:「神は、その種類にしたがって野の獣、その種類にしたがって家畜、その種類にしたがって地のすべてのはうものを造られた。」(創世記1:25)

魚 (Fish)
科学や知識を表す。科学には「理知的」「合理的」「感覚的」の3種類あるとされるが、特に感覚的なことから派正した科学、自然的な人の科学を表す。そこから猟師は、自然的な心理を探求し、教える人たちを指す。そこから、やがて合理的に霊的な真理を教える人を指す。例:「わたしはあなたのあごに鉤をかけ、あなたの川の魚をあなたのうろこにつけ、あなたと、あなたのうろこについている川のすべての魚とを川の中から引き上げる。あなたとあなたの川のすべての魚とを荒野に投げ捨てる。」(エゼキエル29:4-5)

すずめ (Sparrow)
人間と比べて少ないもの、小さいものという意味で使われる。「五羽の雀はニアサリオンで売っているでしょう。そんな雀の一羽でも、神の御前には忘れられていません。」(ルカ12-6)

鳥 (Bird)
鳥は一般に合理的なものを表し、また内なる人の知的なものを表す。例:「天の御国は、からし種のようなものです。それを取って、畑に蒔くと、どんな種よりも小さいのですが、成長すると、どの野菜よりも大きくなり、空の鳥が来て、その枝に巣を作るほどの木になります。」(マタイ13:31-32)

鳩 (Dove, Turtle dove, Pigeon)
再生した人間の信仰の真理を表す。洗礼を受けたイエスの頭に鳩が舞い降りたのは、洗礼自体が再生を表すからである。例:「あなたがたは羊のおりの間に横たわるとき、銀でおおわれた、鳩の翼。その羽はきらめく黄金でおおわれている。」(詩篇68:13)

羊 (Sheep, Ram, Lamb, Flock, Cattle)
羊は善を表し、特に仁慈の善をもった人びと、すなわち霊的な善と自然的な善を持った人々を指す。雄羊は、内なる人の無垢の善、仁慈の善を表す。例:「あなたはその雄羊をほふり、その血をとり、これを祭壇の回りに注ぎかける。また、その雄羊を部分に切り分け、・・・なければならない」(出エジプト29:16-17)(雄羊を屠るとは、内なる人の浄化の備えをすることを指し、切り分けるとは、内的な事柄をはっきりと整理することを表す)小羊、子やぎ、子牛と3つ出て来る時は無垢と愛の3つの段階を表す。子羊は無垢の最内奥の善を表し、子やぎは無垢の内的な善を表し、子牛は無垢の外的な善を表す。例:「狼は子羊とともに宿り、ひょうは子やぎとともに伏し、子牛、若獅子、肥えた家畜が共にいて、小さい子どもがこれを追っていく。」(イザヤ11:6)
羊の群は、仁慈の善に導かれ、仁慈の善の教義を教えられている人たち、すなわち主の教会に属する人々を指す。

豚 (Pig, Swine)
豚は、この世の富だけを愛し、霊的な富を愛さない人々、すなわち、聖言からの善や真理の知識を愛さない人々を指す。また、地獄の姦淫に見られるようなみだらな愛を指すこともある。例:「豚の前に、真珠を投げてはなりません。それを足で踏みにじり、向き直ってあなたがたを引き裂くでしょうから。」(マタイ7:6)

蛇 (Serpent)
蛇は地面を這い、感覚も人間の肉に最も近いものであるから、蛇は感覚的なものを表す。信仰の秘儀に関することを感覚的なことから考えることを、蛇の毒と言われている。蛇が人を表すときは、啓示よりも感覚に頼る者を言う。例:「おまえが、こんな事をしたので、おまえは、あらゆる家畜、あらゆる野の獣よりものろわれる。おまえは、一生、腹ばいで歩き、ちりを食べなければならない。」(創世記3-14)(感覚的な者は天を仰ぐことをせず、肉や地上のことに固執して生きることしかできないことを指す)

ヤギ (Goat, He goats, She-goats, Kid)
聖書では雄やぎと雌やぎをはっきり区別している。聖書では一般に雄(男性)は真理を、雌(女性)は善を表すので、雄やぎは善からくる真理(善の真理)、雌やぎは真理からくる善を表す。特に、やぎは自然的なものを表す。雄やぎはよい意味では自然的な善の真理にいる者を指すが、悪い意味では、仁慈のない信仰にいる者を指す。例:「私が注意して見ていると、見よ、一頭の雄やぎが・・・西からやってきた。・・・見ていると、これは雄羊に近付き、怒り狂って、この雄羊を打ち殺し、その二本の角をへし折った・・・雄やぎは雄羊を地に打ち倒し、踏みにじった。」(ダニエル8:5-7)雌やぎはよい意味で使われる。特に小ひつじと共に書かれ、「子やぎ」の意味で使われるときは、子ひつじの「無垢の内的な善」に対し「無垢の外的な善」よい意味で使われる。例:「あなたがたの羊は傷のない一歳の雄でなければならない。それを子羊かやぎ(原文は雌やぎ)から取らなければならない。動物の子供は無垢なるものを表す。(→ひつじを参照)。例:「小やぎを、その母の乳で煮てはならない」(出エジプト23-19)(幼子の無垢を壊してはならないことを指す)

竜 (Dragon)
自己愛と世への愛、すなわち悪を行いたいという欲望から生まれた理論を表す。また、心の底では信仰の真理と善を否定しているのに口では利得のために信仰を告白する者、すなわち、仁慈から分離された信仰にいる者たちを表す。例:「また、別のしるしが天に現れた。見よ、大きな赤い竜である。」(黙示12-3)

ロバ (Ass)
人が乗る動物であるロバは馬と同様、理知、合理性、科学的な事柄(自然的な真理)を指す。「らくだ」が科学全般を指すのに対し、ロバは特殊な科学を指す。例:「さあ、見張りを立たせ、見たことを告げさせよ。戦車や、二列に並んだ騎兵、ろばに乗った者や、らくだに乗った者を見たなら、よくよく注意を払わせよ。」(イザヤ21:6-7)

ライオン (Lion)
獅子はその力強さから力を帯びた教会の真理を表す。というのも、真理は戦い、勝利するものだからである。特に、教会の最初の状態、肯定と承認を表す。悪い意味では、力を帯びた、教会を破壊する者や自己愛の悪を表す。例:「ダンは獅子の子、バシャンから踊り出る。」(申命記33-22)

らくだ (Camel)
人が乗る動物は一般に真理に関わる事柄を表し(→馬を参照)、らくだは一般に科学全般(自然的な知識全般)を指す。そこから、らくだの背に乗るとは、知性が科学的・自然的な事柄より上に高揚したことを指す。例:「金持ちが神の国にはいるよりは、らくだが針の穴を通るほうがもっとやさしい。」(マルコ10:25)(針の穴は、霊的な真理を表す)

わし (Eagle)
空を飛ぶ鳥は一般に理解力に関わることを表すが、特に空高く飛び、下方を広く見渡す鷲は、知性や考えを表す。翼は、霊的な真理を表す。悪い意味では、虚偽の知識、そこから出るゆがんだ理解を表す。例:「大きな翼、長い羽、色とりどりの豊かな羽毛の大鷲が、レバノンに飛んできて・・・・さて、もう一羽の大きな鷲と豊かな羽毛を持つ大鷲がいた。」(エゼキエル17:3、7)

*ここに紹介したのはごく一般的な用法なので、個々の文脈における意味など聖書の逐語解説については、『天界の秘義』や『黙示録講解』等を参照してください。