神の摂理(詳細版)

神の摂理

 神の摂理とは、主の神の愛と知恵による統治である。(『神の摂理』1)

主の神の摂理の目的は、人類から成る天界である

 天界は人類から成り、主とともに永続するものであるから、これが主の創造の目的であったということになる。さらに、これが創造の目的であったから、それが主の神の摂理の目的なのである。主は世界をご自身のために創造されたのではなく、天界で主がともに住まわれる人々のために創造された。(『神の摂理』27)

神の予見と神の摂理

 一般に予見(praevidentia)と摂理(providentia)についていえば、予見はより人に関わり、摂理は主に関わる。主は、人類が将来どのようになるか、また一人ひとりがどのようになるかを永遠から予見された。そして常に悪が増加していること、それゆえ、ついには人は自ずから地獄に真っ逆さまに落ちていくことを予見された。そのため主は、人が地獄から向きを変えて天界へと主によって導かれる手段を用意されただけでなく、主の摂理において、常に人の向きを転じ導いておられるのである。主はまた、人の自由意志によるのでなければ、いかなる善も人に根づくことはない、なぜなら自由に根づかないものは、悪が初めて来ただけで、また試練が初めて来ただけで消え去ると予見されたからである。主はまた、人はひとりでに、すなわち自由意志で、最悪の地獄に向かうであろうと予見された。それゆえ、主は、もし人が自由意志によって天界に導かれないなら、よりましな地獄に導かれるように、しかしもし人が自由意志によって善に導かれるなら、天界に導かれるように整えられたのである。 (『天界の秘義』3854)

神の摂理は無限、永遠に目を向ける

 神の摂理はすべてにおいて、無限なもの、永遠なものに目を向けると言えよう。それは次の事実から明らかである。すべての被造物は無限かつ永遠の第一原因から創造され、それは最後のものにまで行き、それからその源泉である第一原因にまでもどる。その源泉たる第一原因は、そのあらゆる連鎖のもっとも深いところに存在しているので、次のようになる。発出する神性、あるいは神の摂理は、すべてにおいて無限かつ永遠なるものの像に目を向ける。それはある場合には明瞭であり、ある場合にはそうではないが、あらゆる場合においてそうなのである。(『神の摂理』56)

神の摂理の法則

 人は自由に理性にしたがって行動すべきであるというのが神の摂理の法則である。人は欲することを何でも考え意図する自由があるが、思うことを何でも言ったり、欲することを何でも行う自由はないということは一般に認められている。ここで言うところの自由は、霊的自由であって自然的自由ではない。両者が一致する場合は別として。考え、意図することは霊的であり、話し行動することは自然的である。(『神の摂理』71)

罪の除去に関する神の摂理の法則

 人は外部人間において、悪を罪として、あたかも自分自身から除去すべきである。そうすると、主は内部人間において、そして同時に外部人間において悪を除去することがおできになる。それ以外の方法はない。これが神の摂理の法則である。(『神の摂理』100)