ル・クレジオとスウェーデンボルグ
高橋 和夫
世界のスウェーデンボルグ書の出版情報誌としてすっかり定着した感のあるSPI Newsletter(2008年秋号、通巻第18号)は、ロンドン在スウェーデンボルグ教会のリチャード・ラインズ(Richard
Lines)氏の報告を掲載している。2008年度のノーベル文学賞作家ル・クレジオに関する報告を、筆者の調べたこともまじえて紹介する。
一般にJ・M・G・ル・クレジオ(Jean Marie Gustave Le Clezio)と呼ばれるル・クレジオは、著名なフランスの小説家である。1940年ニース生まれで、今年69歳になる。父はイギリス人、母はフランス人。父は当時イギリス領だった、インド洋上の島モーリシャス共和国の出身だったため、第二次大戦中はフランスにいた家族とすごせず、ル・クレジオは幼年初期を母とニースで暮らした。8歳からは、父が医師としてナイジェリアで働いたのでそこですごした。長じて彼はイギリスのブリストル大学とロンドン大学で学んで英文学の学位を取得、フランスのニース大学でも学んだ。
後、フランス語で多くの小説を書き高い名声を博した。主な作品は『調書』(1963)『発熱』(65)『洪水』(66)『巨人たち』(73)『黄金を探す人』(85)など。彼の作品の「世界は単調なまでに壮麗な同じ構成要素のいくつか、すなわち太陽、海、ニースを思わせる南フランスの街、などからなるが、なかでも太陽こそはこの世界の真の中心であり、それを律する至高の原理である」といった批評がある(『世界文学事典』集英社、1842ページ)。
ル・クレジオの作品のいくつかは英語に翻訳されているにもかかわらず、彼はあまり英語圏の人びとには知られていないとされる。
モーリシャスの人間であることを誇りに思い、故郷と見なしているル・クレジオが、モーリシャスへの訪問でスウェーデンボルグについて学んだ可能性がある、とラインズ氏は推測する。そこには150年以上も続いていた新教会の小さなコミュニティがあったからだという。
彼は今もなおスウェーデンボルグに関心を持つ。現在、スウェーデンボルグとカントについての劇作品を書いている。
日本のノーベル賞作家、大江健三郎は『あいまいな日本の私』や、一部の小説中でスウェーデンボルグに触れているが、本質的で内面的なつながりは見出せない。
スウェーデンボルグの思想を学びそれを自分の作品に反映させたノーベル賞作家の系譜は、『青い鳥』のメーテルランク(ベルギー、1911年度)、W・B・イェーツ(アイルランド、1923年度)、チェスワフ・ミウォシュ(ポーランド、1980年度)と続く。これに新たにル・クレジオが加わった。
➡内村鑑三