古代教会

第二教会あるいは古代教会

 ノアは新しい教会という意味である。洪水以前に存在した最古代教会とこの洪水後の教会とを区別するために、それは古代教会と呼ばれる。これらの教会の状態はまったく異なっていた。最古代教会の状態は、主から善とそれに由来する真理の直観を受けるようなものであった。他方、古代教会あるいはノアの状態は、善と真理に関する良心をもつようなものになった。直観をもつことと良心をもつこととの間に違いがあるように、最古代教会と古代教会の状態には違いがあった。直観は良心と同じではない。天的な人々は直観をもち、霊的な人々は良心をもつ。最古代教会は天的で古代教会は霊的であった。(『天界の秘義』597)

古代教会の礼拝

 最古代の人々は、あらゆるものの中に、たとえば山、丘、平野、谷、庭、木立、森・・・の中に、主の王国を表わし指し示すものを見た。しかし、彼ら(古代人)はもはやこれらに対して目を向けることも心を向けることもなくなった。そのかわりに、彼らにとって、これらは、主の王国にある天的なもの霊的なものについて考える手段となった。これは自然全体にそのような手段として役立たないものはないというほどであった。自然におけるすべてのものが表象的であるというのは、実際そのとおりであるが、今日ではそれは秘義であり、ほとんど誰も信じていない。しかし、主への愛である天的なものが滅んだ後、人類はそのような状態ではなくなった。すなわち、もはや外部のものを手段として主の王国の天的、霊的なものを知るという状態ではなくなった。にもかかわらず、洪水後の古代人は、伝承から、またある人々の収集物から、世界の事物にそのような意味があることを知った。そしてそのような意味があるために、それらを神聖なものとみなした。ここから古代教会の表象的礼拝が起こった。この教会は霊的であり、直観をもたず、ただ物事がそうだという知識だけをもっていた。というのは、本教会は最古代教会と比べると薄暗いところにいたからである。(『天界の秘義』2722)

古代教会の衰退

 洪水後の教会の状態は次のとおりである。聖言において特に言及されている三つの教会があった。すなわち、ノアと呼ばれる最初の古代教会。エベルと呼ばれる第二の古代教会。ヤコブと呼ばれる第三の古代教会。これらに続いて、ユダとイスラエル教会があった。ノアと呼ばれた最初の教会についていえば、これは後に続く諸教会のいわば親であり、初期の教会の多くがそうであるように、あまり汚れておらず無垢であった。・・・しかし時間の経過とともに、教会によくあることであるが、その教会も衰退し始めた。それは、多くの人々が自分自身を他者の上に置くために、自分を礼拝することを望み始めたからである。・・・聖なるものを冒涜する危険が差し迫った時に、主の摂理において、この教会の状態は変化した。すなわち、その内的礼拝は滅び、外的礼拝は存続したのである。(『天界の秘義』1327)

いけにえは最初にエホバに捧げられ、後に偶像崇拝化した

 「エベル」はエベルを祖先とするヘブライ国民であった。・・・そこで新しい礼拝が始まったので、類似の礼拝を行うすべての国民はヘブライ人と呼ばれた。彼らの礼拝は、後にヤコブの子孫の間に復元されたようなものだった。その主要な特徴は、彼らがエホバを自らの神と呼び、いけにえを捧げたことだった。

他の古代教会はいけにえを忌み嫌い、それゆえヘブライ人を忌み嫌った

 ヘブライ国民の礼拝の第二の特質がいけにえであったことは、出エジプト記3:18、5:2-3から明らかである。また同様に、エジプト人がこの礼拝ゆえにヘブライ国民を忌み嫌った事実もモーセの次のことばから明らかである。「モーセは言った。そうすることは正しくない。なぜなら、われらの神エホバにエジプト人が忌み嫌うものをいけにえとして捧げることになるからである。見よ、われわれはエジプト人の目に忌まわしいものをいけにえとして捧げるのであろうか。彼らはわれわれを石で打たないであろうか」。(出エジプト記8:27)(『天界の秘義』1343)

いけにえの崇拝がイスラエルの子らに命ぜられた理由

 いけにえ一般についていえば、それはモーセを通してイスラエルの人々に命ぜられた。しかし、洪水以前に存在した最古代教会は、いけにえについてはまったく何も知らなかったし、動物を屠ることによって主を礼拝するということが、彼らの心に浮かぶことさえなかった。洪水後の古代教会も、同様に、いけにえについて知らなかった。この教会に表象はあったが、いけにえはなかった。実際、いけにえはヘブライ教会と呼ばれた後の教会において初めて導入され、そこから諸国民に広がり、アブラハム、イサク、ヤコブ、ヤコブの子孫に至るまで広がった。諸国民がいけにえの崇拝をしていたことは上述の通りであり、ヤコブの子孫がエジプトを出る前からそうであったこと、つまりシナイ山でモーセを通して命じられる以前にそうしていたことは、『出エジプト記』の記述から明らかである。・・・これはとりわけ黄金の子牛の前の偶像崇拝から明らかである。 それが命じられた理由は、いけにえの崇拝が諸国民と同様、彼らにとっても偶像崇拝になっており、それをやめることができなくなっていたからである。なぜなら彼らはそれをもっとも聖なるものと見なしていたからである。幼児期から聖なるものと植え付けられてきたもの、とりわけ父親からそうされて根づいたものは、秩序に反していなければ、主は破壊されるのではなくたわめられるのである。・・・これらすべてのことから、いけにえは命じられたのではなく許されたことが明らかである。(『天界の秘義』2180)

古代教会の外部的なものはイスラエル教会において再建された

 モーセをとおしてヤコブの子孫に命じられた儀式や規則は、新しいものではなく、古代教会にかつて存在したのであり、ただヤコブの子らの間に復元されたにすぎない。それらが復元されたのは、他の諸国民におけると同じように、それらが偶像崇拝的になり、エジプトとバベルにおいては魔術になったからであった。(『天界の秘義』6846)

➡イスラエル教会