スウェーデンボルグのキーワード

スウェーデンボルグのキーワード              解説:高橋和夫

愛(love)
スウェーデンボルグによれば、愛は人間の生命の本質的要素である。人間とはその人自身のもつ愛そのものである。愛は意志・意欲・情愛・欲求などの根源を成す。この言葉はつねによき意味で使われるとはかぎらず、「悪しき愛」と言えば、それは自己愛や世俗愛を指す。人間の有すべき愛は「神への愛」「真理への愛」「隣人愛」などだが、これらの愛は前述の「悪しき愛」に対立する生命原理である。いわゆるキリスト教的な愛、つまり隣人愛を、スウェーデンボルグは「仁愛」(charity)とよぶことがある。むろんこの言葉は慈善のような外面的な行為を指すものではない。またスウェーデンボルグは、愛を信仰と対比させて考える時、信仰の生命は愛だとも言う。

悪の虚偽(falsity of evil)
「悪から発する虚偽」ともよばれる。悪しき欲望によって引き起こされる虚偽の観念、ないし真理の歪曲。

アニマ(anima)
さまざまな伝統的な意味での人間の霊魂(soul)。霊魂は人間の精神と肉体との根源にあって、死後も生きる。スウェーデンボルグの使用した anima は、ユングがこの言葉にもたせた特殊な女性的属性を有していない。

意志・理解力(will, understanding)
人間の根源的な能力は意志と理解力とによって成り立ち、極論すれば、人問とは意志と理解力そのものである。スウェーデンボルグによれば、意志とは、愛し、意志し、意欲し、欲求する能力の総称であり、理解力とは、事柄の真偽・善悪を識別し、判断を下す能力の総称である。この意志・理解力という用語は誤解されやすいため、最近は意図(intentionality)・識別力(discernment)と英訳されるようになった。意志は根源的であり、理解力は二次的であるが、意志がたとえ腐敗しても、人間を人間たらしめる理解力の能力はけっして人間から奪われることがない、とスウェーデンボルグは言う。意志は自由の能力、理解力は合理性の能力ともよばれる。

内なる人間・外なる人間(internal man, external man)
内的な人間・外的な人間(interior man, exterior man)もほぼ同じ意味。これらの術語は、それぞれ、心と肉体を指す言葉ではなく、両方とも心に関連づけて用いられる。とくに人間が他人と交わる時の二つの心の状態に関連づけて用いられる。内なる人間とは、各人の支配愛のことで、他人を意識しない時に意欲したり考えたりする心を意味する。外なる人間とは、他人の面前でとりつくろう場合のように、たんに外面的な心を意味する。内なる人間が変わらなければ、人は再生しない。

改良(reformation)
とくに「信仰の真理」の方面での再生のプロセスを表わし、人間の生命の二次的な要素である理解力が秩序づけられることを指す。人問は「信仰の真理」に従う生活によって善へと導かれ、ついには神により新しい意志を与えられるとされる。

教会(Church)
スウェーデンボルグの言う教会とは、特定の教派や組織そのものを本質的には意味しない。それは組織ないし個人における霊的な生命の実現を意味する。それゆえ、霊的な人間は一つの教会である。

巨大人(Grand Man)
ラテン語の Maximus Homo(最大の人間)の伝統的な英訳語。最近ではG・F・ドールの「普遍的人間」(Universal Human)という訳語が定着しつつある。この用語の解説を参照。

形体的なもの(the corporeal)
肉体そのものを意味する言葉ではなく、肉体にも一部付随した、心の最外部を意味する。感覚や肉体的な快楽に占有された、いわば物質的で形而下的な心的実体のこと。

荒廃(vastation)
心がすさみ、荒れ廃れる状態。これは「霊たちの世界」で起こる再生のプロセスの一部としても述べられる。荒廃によって善良な者からは外的な悪や虚偽が除かれ、邪悪な者からは偽善や見かけだけの知識が除かれる。

古代教会(Ancient Church)
スウェーデンボルグの特殊な術語。独特な宗教史観に基づき彼は、ノアとその子孫たちによって象徴的に語られている古代の聖書の人びとの宗教をこうよぶ。スウェーデンボルグは、パレスチナ周辺の西アジア一帯やエジプト、またアジアの各地において、イスラエルの一神教以前に、またこの一神教と並行して、良質な宗教的伝統が保持されたと考える。なお、古代教会は最古代教会に続くとされる。

固有性(proprium)
ふつうは自我とか自己を表わす言葉だが、この術語を適切に表現する英語がないため、ラテン語のままで残された。人間の固有性とは、自分自身のものであって他人のものではないようにみえる生命、っまり自分自身を他人から区別し、自分を独特な個人とするような生命のことを言う。スウェーデンボルグの神学によれば、人問は生命そのものでなく生命の「受容体」であるから、本質的には自分自身の何ものをももっていない。しかし、このように生命は人間に流入するとはいえ、生命はあたかも自分自身に由来するかのように人間自身には感じられるという事実によって、固有性は、自分から自分のために生きるという意識を指すこともある。このような場合、固有性はしばしば自我や自我の誇りの意識を意味する。

痕跡(remains)
幼少の時から、人間自身には知られない無意識的な仕方で、神によって心の奥底に刻まれる、愛・善・無垢・平安などの根源的な印象。これは人間のもとに生涯にわたって残留し、再生の基礎条件として役立つ。

最古代教会(Most Ancient Church)
神的なものと関連した、先史時代の文化や宗教を言う。とくに「創世記」のアダムと、洪水以前のその子孫たちの記述を、スウェーデンボルグは最古代教会の象徴的な表現と解釈し、いわゆる「原始一神観」を先取りした形で、太古の人類の有した一神教的な宗教について詳細に論じている。この教会に続くのが古代教会である。

再生(regeneration)
この用語は仏教の輪廻と混同されやすい。再生とは人間が信仰によって新しい意志を形成して精神的に成長してゆくプロセスを意味する。したがって再生は、キリスト教の新生とか聖化といった概念に近い。現代の心理学的な言い方をすれば、再生は自己の全体性の実現や統合へと向かうプロセスである。

自然的なもの(the natural)
スウェーデンボルグの言う自然は、内に霊的なものを含まない自然であり、そのかぎりにおいて自然は生きたものと見倣されない。彼にとって自然は霊によってつねに生かされているからである。それゆえ、たとえば「自然的な人間」というと、主たる関心が自分自身や世俗的なことに向かっていて霊的な真理を内省しない人間を指す。あるいは、これが人間の心の最低の水準を意味することもある。

支配愛(ruling love)
人間の生命を支配する最も強い愛。大別して4つの支配愛があるが、それは、
(1)神への愛、
(2)隣人愛、
(3)世俗愛(つまり富・名誉などへの執着)、
(4)自己愛、
である。(1)と(2)の支配愛だけが再生しつつある人間の支配愛と考えられている。

受容体(vessel)
スウェーデンボルグによれば、人間は神から来る生命を受容する器ないし受容体である。もっとも、人間は生命のたんなる「いれもの」ではなく、流入してくるどんな生命に対しても、それに調和的に反応したり、それを拒絶したりする自由な有機的形態を有するとされる。

情愛(affection)
情愛は愛から派生し愛に属する。ほとんど愛と同義。「真理の情愛」とか「善の情愛」というように使われる。何かをたんに知ることと、何かを情愛をもって知ることとは異なり、後者は、知ったものを生命として自らに同化することを意味する。

状態(state)
この術語は看過されがちだが、特殊な意味あいを帯びて用いられる。スウェーデンボルグによれば、霊的なもの、あるいは霊界には空間や時間は存在しない。それに代わって、空間に対応する「状態」と、時間に対応する「状態の変化」だけが存在する。

照明(illumination)
とくにスウェーデンボルグだけに特有な言葉ではないが、一般に理解されにくいので掲げる。これは精神の内部が霊的な光に照らされて啓発されることを意味する。スウェーデンボルグは徐々にこの内なる光に啓発されて、ついには霊的な知覚も開かれ、霊界の実相を知ることができた。

試練(temptation)
誘惑とか、悪への衝動を意味せず、人間の支配愛への侵害・攻撃を意味する。再生のプロセスで支配愛が試みられることによって、試練におかれた人間は自らの本来あるべき性格を承認し、それを強化する機会を得るとされる。

新教会(New Church)
新エルサレム教会ともよばれ、スウェーデンボルグの神学著作集に照らしてキリスト教の教理を解釈しようとする教会のこと。彼自身がこの用語を広く普遍的な意味で使ったのか、個別的な教派の意味で使ったのかは、神学著作集そのものによっては決定できない。普遍的な意味の新教会とは、キリスト教のみならず人類のあらゆる宗教がその本来の姿に復元された状態を意味するであろう。

信仰の真理(truth of faith)
信仰の一部とはなっているが、まだ生活の中で実践されていない真実の観念。この言葉は、生きた信仰に由来する善を意味する「信仰の善」(good of faith)と対照的に使われる。

神的人問性(Divine Human)
新教会の神学の中核的概念で、人間性を栄光化(glorify)したあとのイエス・キリストに適用され、 人間的形態(humanform)をとった神的な愛を意味する。スウェーデンボルグはこの概念を説明するために、しばしば「コロサイ人への手紙」第2章9節の「キリストの内にこそ、神の満ち満ちたご性質が形をとって宿っています」を引用している。

真理(truth)
真理は、善の形態であり、善を条件づけるものである。また真理は力ないし法則とも考えられている。霊界と自然界で遂行されるすべてのものは真理の力によっている。個人において愛や善の機能を認知し、それを遂行するのも真理の力である。

生命(life)
スウェーデンボルグによれば、人間は本質的に言って、生命そのものを何ら有していない。人間は、生命それ自体たる神より発現する生命の受容体でしかない。神的な生命とは愛と知恵であり、この神的な愛の人間の側の受容体が意志であり、神的な知恵の受容体が理解力である。意志に受容された生命は善、理解力に受容された生命は真理と、それぞれ総称される。むろん、受容する人間の側で生命が正しく受容されなければ、善は悪に、真理は虚偽に、それぞれ変質することもありうる。

聖言(the Word)
端的に言えば神の言(ことば)のことだが、スウェーデンボルグはこれを、神的な真理としての神、っまり霊界と地上への神的な啓示だとする。私たちのもとにある神的な啓示は旧・新約聖書であるが、彼は聖書=聖言と考えていない。聖書の内でも純粋な対応に基づいて書かれたものだけが聖言だとされ、それはたとえば新約聖書では、4つの福音書と「黙示録」の五つだけである。旧約聖書ではモーセ五書や預言書などが聖言だが、「ルツ記」や「エステル記」などはたんに有益な宗教的文書とされている。また彼によれば、旧約聖書で言及されている「ヤシャルの書」のように、古代教会に属した聖言も存在したと言う。

対応(correspondence)
スウェーデンボルグの思想の最も有名な概念の一つ。対応とは、実在の「度」を異にする事物、つまり、神的なものと霊的なものとのあいだの、あるいは霊的なものと自然的なものとのあいだの、 因果的かっ機能的な関係である。たとえば、ある自然界の物体、活動、現象が、ある霊的なものの結果として生起し、これに反応・適合・呼応・類似する時、これらの二つのものは対応すると言われる。私たちが「温かい心」と言う場合、一つの心的過程を、「度」を異にする物理的な熱という言葉で語っている。この例はたんなる比喩や象徴とも考えられるが、スウェーデンボルグの対応の概念は、もっと存在論的な概念であり、比喩や象徴とは区別される。

天的なもの(the celestial)
自然的なものの内部ないし上方にあるのが霊的なもの(the spiritual)だが、この霊的なものの内部にある実在の「度」。スウェーデンボルグは人間の心の重層的な構造を説くが、霊的なものが理解力の水準にある真理や信仰に関係するのに対して、天的なものは意志の水準にある善や愛に関係する。

度(degrees)
度とは文字どおり程度・度合い、また階層を意味する。スウェーデンポルグは二種類の度、すなわち連続的な度(continuous degrees)と不連続的な度(discrete degrees)を峻別している。連続的な度とは、寒暖・明暗・濃淡のように、同一な事物における計測可能な増減の度合いのこと。これに対して、たとえば心と体のように実在の次元を異にする事物のあいだの度が不連続的な度である。不連続とはいえ、二つの次元間は対応によって、つながっている。それゆえ不連続的な度は、一つの事物を別な事物から、いわば有機的に形成ないし構成する度と言うこともでき、この度はあらゆる事物の中に存在している。この度をもつ事物は、その構成要素が各々分離しているようにみえるが、実際は一つの有機的な全体なのである。

表象(representation)
何らかの霊的な観念を象徴するために使われる、自然的な対象、人物、ないし行為のこと。あるいは、そうした霊的な観念そのもの。また、霊界で可視的な形態をとった、観念の示現。

普遍的人間(Universal Human)
以前には「巨大人」と訳された Maximus Homo (最大の人間)の訳語。G・F・ドールのこの英訳語が定着しつつある。普遍的人間とは、天界や、地上の教会を含む、主(神)の体、ないし主の王国としての天界全体のこと。また時として、主自身を指す場合もある。

迷妄(fallacy)
人をあざむく見かけ、外観のこと。太陽が「昇る」といった、感覚の迷妄はありふれており、有害でもない。しかし、人間の信仰の欠落のせいで悪と結びっくようになる、人間の低次の本性に由来する迷妄は「悪の虚偽」となる。

目的・原因・結果(end, cause, effect)
スウェーデンボルグの神学著作に頻出する用語。目的とは愛、つまり意志の有する目標ないし意図であり、原因とは、意志が目標を達成する理解力の内にある手段であり、結果とは、目的が手段によって達成したもの、つまり話し言葉・行為・感覚作用などである。

役立ち(use)
役に立つこと、有用性といった意味だが、スウェーデンボルグの重要な用語の一つ。彼によれば、役立ちとは目的に仕える有用な活動であり、これは愛より知恵をとおして生みだされる。こうした意味での役立ちは、「目的・原因・結果」という彼独自の概念の枠組みにしたがえば、「愛・知恵・役立ち」という対応関係が成り立つ。また役立ちは、しばしば「善」と同じ意味で使われる。

流入(influx)
流れ入る、作動させる、影響を及ぼす等の意味。この術語は、いっさいの被造物へ不連続的な度によって神から流れ注ぐ根源的な力を表現するさいに使用される。

霊・天使・悪魔(spirit, angel, devil)
スウェーデンボルグは、人類の創造に先立って創られたどんな天使や悪魔も存在しない、と断言している。人間はすべて死後、霊(しばしば霊魂ともよばれる)となり、生前と類似した霊的な心身をもって霊界で永遠に生きる。霊界における精神的に気高い霊が天使、奈落的な性質の霊が悪霊ないし悪魔と、それぞれ総称される。したがって天使も悪魔も本質的には人間であって、キリスト教の神話的な天使や悪魔は完全に否定されている。

霊界(spiritual world, spirit world)
他界、他生、すなわち死後の人間の住む世界のこと。地上で生きた人間はすべて霊界に入り、そこで永久に留まる。霊界は天界・地獄・霊たちの世界の三大領域に分かれ、各人の宗教的・倫理的・知性的な性格に応じて住み分けられている。霊が霊界でどこに住むかは各自の支配愛によって決定される。またスウェーデンボルグは、文脈によっては、天界や地獄が場所でなく、人間や霊が有する心の状態だとも言う。

霊たちの世界(world of spirits)
霊界と同じ意味にとられやすいので注意を要する。霊界は三領域ないし三層に大別されているが、天界と地獄とのあいだに存在するのがこの霊たちの世界である。この領域は地上の人類と直接的に(とはいえ不連続的な度によって)交流する場となっており、また通常、人間は死後まずこの世界に入ってゆく。ここでは各人の支配愛が明るみに出され、各人はその自由意志によって早晩、天界や地獄に向かうとされる。