縦の度

「縦の度」について


青山 隆


はじめに
スウェーデンボルグは「神の愛と知恵」の中で、度(強度、degree)には横の度と縦の度の二つがあることを初めて世に知らしめた。横の度は通常の連続的な度(強度)であり、人間の中の「愛と知恵」「善と真理」「意思と理解」等が強まっていく場合などでわかりやすい。一方、縦の度は分離した度で、わかりにくい。ここでは、主として第二天界から第三天界へと縦の度を上昇させる場合を念頭に置き、この過程について文献をもとに考えてみた。
スウェーデンボルグ(1688-1772)が84歳で亡くなってから、250年が経過した。その間、彼の教えは我々の生活の基本となり、ある意味では彼の教えのみで十分である。一方、この間に科学技術が目覚ましく進歩し、宇宙の進化と構造も飛躍的に解明された。当時は世に公にできなかった(混乱を招く)真理で、その後、他の人によって公にされたものが多数あると思われる。ここでは、スウェーデンボルグ(文献、(一)、(二))に加えて、彼の正統な後継者としてエドガー・ケーシー(1877-1945、文献(三))とゲリー・ボーネル(1948-、文献(四))の二人を取り上げ、スウェーデンボルグの教えが継承され、詳細になった様子を見たい。

1 スウェーデンボルグ自身の記述
「度には縦の度と横の度があり、(横の度は通常の連続した強度、)縦の度は分離した度で、同質であり、目的、原因、結果として進む((一)189)。霊にも、天使にも、人間にも、すべての者に三つの度の内部がある。神的諸真理に感動して、それを直接に生命の中へ容れ、引いては己が意思の中へ容れ、意思から行為の中へ容れる者たちは、最も内なる第三の天界にいる。これらの真理を記憶の中へ容れ、記憶から理解の中へ容れ、そこからその真理を意思し(欲し)行う者たちは真ん中の第二の天界にいる。道徳的な生活をして、神的なものを信じてはいるものの、教えを受けることをあまり求めない者たちは最低の第一の天界にいる((二)33)。第三天界の天使たちの内部は第三の度まで開いているが、第一天界の天使たちの内部はただ第一の度までしか開いていない。第三天界では神的真理は天使たちに刻みこまれ、植え付けられ、内在している。彼らは神的真理については論じない。第一天界では前者のように神的真理は内部に刻み付けられてはおらず、真理について論じており、ある事柄で確認するにすぎない((二)270)。生まれた子供はまず、「自然的な度」に入り、理解や合理性を増大させる。次に合理性を用に用いることで「霊的な度」に入り、最後に主に対する愛により「天的な度」に至る((一)237)。」
このように、自然的から霊的になり縦の度が進むこと、はわかりやすいが、霊的から天的になること、神的真理を自らの中に植え付け、刻み込む、がどういうことかを知りたいと思う。これと関連して、二つの事項にも注目した。一つは、「低い諸天界には我々がこの世で持っているものに似た文字で記された文書があるが、人間には判然としない。なぜなら天使たちの言語を用いているから((二)261)。」とある文書。二番目は、「地には用の形を生み出そうとする努力(コトナス)がある((一)310)。」の努力にも注目した。

2 エドガーケーシーの記述
エドガーケーシー(1877-1945)は二○世紀最高の霊能者といわれ、病院では治らない精神的、肉体的に病んでいる多くの人々を治癒させた。彼の方法は、天使と話すと同時に、霊界の文書(アカシックレコードと呼ばれる、(二)261)を直接読んで治療法を得るものである。アカシックレコードを読むうちに敬虔なクリスチャンである彼自身を驚愕させたのは「転生」の記述である。彼自身、アトランティス(アシュル)、エジプト(神官)、ペルシャ(医者、ユールト)、トロイ(門衛、キセノン)、聖書時代(パウロの同僚、ルキオ)、植民地時代のバージニア州(軍人、ジョン・ベインブリッジ)等の生涯を経て、現在に至ったことが記載されていた。彼の最大の業績は、キリスト教を中心とする現代社会において、「転生」の事例とその意味を詳細に明かした点と思われる。すなわち、我々の魂は、転生を繰り返し、一つの生涯では学びきれない多くの事柄を学び、経験する。一つの生涯を終え次の誕生までの期間は、昔は約250年、現在は約30年に短縮されているともいわれる。スウェーデンボルグの著作には「転生」については何も記述が無いが、当時はこれを公にすることができなかった(混乱を生む)ためと考えられ、ケイシーによって初めてキリスト教社会に明かされたと思われる。以下、「転生」を重要な基本概念として話を進める。

3 ゲリー・ボーネルの記述
ゲリーボーネル(1948―)はカリフォルニア州サンノゼに生まれ、幼少の頃は養父からしばしば暴力を受ける環境で育ち、イーライという名前の天使だけが真の話し相手だった。幼少の頃から体外離脱ができ、10歳頃からアカシックレコードへのアクセスも可能になったという。17歳で起業し、心理学者で学位(PhD)を有する。彼の主張する「我々の魂と次元上昇(アセンション)」の概要は以下の内容である。


(1)魂と物質の誕生
創造主により我々の魂は、①意識、②エネルギー、③衝動(divine urge)の三つを備えた完全な第一次的存在として創造された。創造主により物質は、①エネルギー、②衝動、の二つを備えた進化する(非)物質として、同様に、第一次的存在として創造された。前者はトライアード(triad, 魂)、後者はダイアード(dyad, 物質)と呼ばれる。この「衝動」は、「用の形を生み出そうとする努力(コトナス)((一)310)」に相当すると考えられる。これらの魂と進化する物質は、共にエーテル体(etheric body)に包まれている。


(2)魂と物質の経験と記憶
地球上でダイアード物質が、鉱物、植物、動物という形態を生み出す中(エネルギーと物質は地上でも等価、
E = mc2、ここでEはエネルギー、mは質量、cは光の速度)、我々の魂(トライアード)は、これらの鉱物、植物、動物に入り込み(転生)、それぞれの経験を積む。その経験はトライアード魂のエーテル体に刻み込まれ、保持される。一方、ダイアード物質もその経験を自身のエーテル体に刻み込む。


(3)ダイアード意識と魂の形成
生物(植物)の段階で細胞が集まり組織、器官をつくると、このときに意識( awarenessの意味、consciousnessではない)が二次的に創造される。このawarenessは、さらに進化して条件がそろうとconsciousnessとなり、ダイアード意識が創られる。すなわち、進化する物質から出発して、我々のトライアード魂と似て、3つの因子を備えたダイアード(魂)が創られたことになる。


(4)トライアードとダイアードの両方を宿した我々人間
我々人間はこれら二つの魂(トライアードとダイアード)を宿しているという。古代エジプト時代には、人間の肉体(アクト)に魂(バー)と聖霊(カー)が宿り、肉体の死後も魂と聖霊は生き続ける、と言われた。人間に二種類の霊的なものが宿るという概念は新しくはない。直観的には、我々の顕在意識はトライアードの意識であり、潜在意識がダイアード意識である。ダイアード意識は、もともとサバイバルを目指した意識であり、現代社会では「自己と世(富や名声)」すなわち、この世での成功を志向する。我々、トライアードは、ダイアードをうまくコントロールし、ダイアードの豊富な経験を活用して、「神と隣人」を愛しながら、世の中に大きく貢献する必要がある。「悪のもとにいる者では、悪は善を支配して、善を悪の僕として悪自身に服従させ、彼らの愛から生まれているその目的を得る手段として善を悪に仕えさせている((二)499)」のように、我々トライアードがダイアード意識の僕(悪が善をコントロールする状態)となってはならない。


(5)ダイアード意識の次元上昇
 以上では、ダイアードは悪者に近いイメージだが、さらに進化できる可能性を秘めている。何千年もの間、人間に宿ったダイアードはさらに進化して最終段階に至り、聡明なトライアードを捜し出す。両者が一人の人間となり、意識とエネルギーの調和が進み、両者は結合体(union)となる。さらに、同じペアで転生を繰り返した後、ダイアードは次元上昇して、時空を超えた存在(Entity)となる。このダイアードの次元上昇に伴い、ペアであったトライアードの叡智も飛躍的に高まる。たとえば、肉体として過去や未来に行くことはできないが、ある任意の時点(たとえば2022年12月1日)で時間にとらわれずに、地上で必要な場所に自由に行き、物体も自由に動かす能力を獲得するという。
以上がボーネルの魂の次元上昇(アセンション)に関する記述の概要である。縦の度の上昇(次元上昇)は、想像を絶するような時間と努力と忍耐の過程を経てはじめて達成されるようである。我々の本質的な存在は魂であり、これが永遠の存在であることは納得できる。しかし、二種類の魂(トライアードとダイアード)が肉体に宿っていることは、なかなか実感がわかない。一方、顕在意識と潜在意識の概念を使うと、たとえば我々は顕在意識で「神と隣人を愛し」、潜在意識は「自己と世(富と名声)を愛し」ている、という表現ができる。そこで、我々は、まず、潜在意識を活用して自己の知識、技術、経験を高め、社会で通用する実力を付ける。次の段階で、我が身を用いて世の中に大きく貢献する目標を立て、現実的に行動することが妥当である。聖人においては、この二つの意識は完全に一致し、調和して、さらに叡智を具えている。従って、通常の人間の合理的な思考、努力、行為に直接、干渉することなく、これらを生かしながら「神と隣人を愛する」行為が無理なく、確実に、効果的に行なわれるよう行動する。こうして、現実世界が大きく発展すると考えられる。

文献
(一)『神の愛と知恵』柳瀬芳意訳、静思社、1984
(二)『天界と地獄』柳瀬芳意、静思社、1983
(三)『前世の記憶』ジェス・スターン、曙出版、1992
(四)『アトランティスの叡智』ゲリー・ボーネル、徳間書店、2004
(四)の訳がわかりにくく、内容が抜けている箇所もあるので、The knowing, Gary Bonnell, Richman Rose Publishing, 2004 も参照した。