追悼文高橋

この一年をふりかえって
                                  
高橋千春

2020年10月30日早朝、主人(高橋和夫)は脳梗塞で倒れ救急病院に入院しました。左半身に麻痺が残りましたが、右側は動き言葉や思考に影響はありませんでした。搬送された病院での治療・リハビリを経て、2021年4月にリハビリ専門治療病院に転院しました。厳しいリハビリにも励み少しずつ改善も見られましたが、原因不明の貧血で月2回の輸血が必要となり入院の日々が続きました。そのような中、10月に一時帰宅が許され、大好きな食べ物を食し、秋の静かな我家の庭を眺め心穏やかなひとときを家族と共に過ごしました。退院、帰宅も視野に入れベッドも備えました。しかし12月に入ると急に食べることが出来なくなり2021年12月20日20時40分に亡くなりました。主人は私の到着を苦しい息の中待っていてくれ、私が「もう頑張らないで良い、私たちは大丈夫、心配しないで穏やかに貴方の望む安らかな光の世界へ行ってください。」と耳元で告げると、今まで空(くう)を見つめていた主人の瞳がくるっと私の方を向き、喉仏を懸命に動かし「ありがとう」の言葉―声にはならず―を告げ、涙を一筋スーと流し息が止まりました。主人は最期に私に感謝を伝え安堵の中旅立ち、主人の魂は、心身の苦しみから解放されたと思いました。
主人の帰宅後葬儀までの4日間、自宅で共にいて内なる対話をして過ごしました。亡くなった時の厳しい表情は3日後血色も戻り穏やかな元の顔になり、主人は(死後の)3日間の試練を乗り越えたと確信しました。25日通夜、コロナ禍もあり連絡は控え家族、親族、近所の方だけと思っていましたが、仙台教会、人体科学会、JSA会員の方々、九州や三重の友人も駆けつけてくださり只々感謝でした。26日葬儀には小平教会、JSA会員他30名余りの方々に見送って頂きました。余談になりますが、葬儀最後の挨拶前私が主人の遺影を見つめていたとき、右目は穏やかな眼差し、しかし左の瞳は涙があふれ…小さな超常現象が現れました。これは主人の感謝のメッセージと思い、葬儀の終わりの挨拶の中でこのことを皆様にお伝え致しました。また主人を通しスウェーデンボルグのことも伝えられたと天に感謝しました。
2月5日家族三人で私が司式を行い、五旬節(仏教の四九日の法要に当たる)として聖書講読、友人からの主人への追悼の手紙、聖歌、祝祷など一時間の祈りの中で主人を天に送りました。終わったときの娘の涙と「よく頑張った」の言葉に肩の荷がおりました。
6月12日、主人の納骨で佐渡へ―主人の愛する故郷の墓に遺骨を納めました。
行事を一つ一つ済ませ心に少し余裕が出来たのは良いのですが、さて主人の御魂(みたま)は霊界でどのような状態にあるのかと―スウェーデンボルグ神学の学びを通し霊界の状況の理解、信仰についても問題はないのですが―漠然とした不安、疑問がありました。
8月25日早朝の夢を通し主人のその時の霊的状況が鮮明に現れました。何かの集まり―学会?研究会?―の中で生き生きと若々しく、生命(いのち)、喜び、エネルギーに満ちた主人の姿を目の当たりにしたのです。死後霊人は本人の一番望む自分に合った状態になり天界、霊界に在る―私の不安は安堵と喜びで心が躍りました。主人の魂は自由意志の中で復活昇天し、もう大丈夫と確信できたのです。
生前の主人との歩みは易しいものではありませんでしたが、今は以前より心が通じ理解も出来ることが不思議です。スウェーデンボルグの学びも主人の助けで直感知が降り、改めて理解を深められています。天主の本当の内なる教会での再会まで皆様と共に歩めたらと願っています。

『真のキリスト教』より
―記憶すべき事柄(霊界の賢人たちの集会)―

692番 「人間は神から発する生命を受容する器となる為に、このような形として生まれ、かくて彼は凡ゆる善を神から受け、神と結合することによって永遠に祝福されるのである。」
694番 「永遠の休息は怠惰ではなく、有用な業を遂行する喜びである。」
695番 「私は或る日、天界に携え上げられ、理論と実践に於て勝れた古代の賢人達から成る一社会へ導き入れられた。彼等は其の時天界に居た。何故なら、彼等は前に唯一の神を信じ、今は主を信じ、隣人を自らの如くに愛したからである。」

柳瀬芳意訳 静思社刊 ―抜粋―