随筆鈴木健一

主のまことは奇しきかな


鈴木健一

 私が、スウェーデンボルグに関心を持ち始めた頃でした。35年ぐらい前のことでした。長島師とはまた別の、新教会の集まりが中野サンプラザで開催されることを知り、林道夫さんにお願いして案内して貰いました。
鳥田四郎牧師は、その時は亡くなられていたのか、お姿は見えませんでした。礼拝では、他のキリスト教会でやるような礼拝形式は取らず、会場の演壇あたりに鳥田恵牧師さんと悦子さん、そして御母君が座っていました。
 座席の配置は、皆の顔が見えるようにテーブルを四角に並べていて、その右隣には、佐藤憲太郎先生を初めとする仙台グループが座っていました。そして、式が始まると、鳥田姉妹と御母君は立ち上がり、讃美歌第二編第191番を歌われました。

🎵主のまことはくしきかな
 まよいなやむこの身を
 とこしなえにかわらざる
 父のもとにみちびく
 大いなるは主のまことぞ
 朝に夕にたえせず
 みめぐみもてささえたもう
 たたえまつらん わが主を🎵
 
 当時、個人的なことで、いろいろありまして、心身共に疲れ切っていた私でしたたが、鳥田姉妹と御母君の歌う姿に、何かこう神々しいものを感じました。歌詞を見ながら、食い入るように、三人の歌う姿を見つめていました。そして、歌い終わって仙台グループに回ると、今度は、生きることの素晴らしさと神への讃美を、あまねく世に知らしめようとする姿にも魅せられてしまいました。
全てが新鮮で、眩しかった!そして、合唱が終わると自己紹介をして、証の場になりました。今でも反省するところですが、聴覚障害者としての立場をはっきりさせなかったために、他の人々の名前と話の内容が耳に入ってこなかったことです。
まだまだ未熟な私でしたから、皆さんに迷惑をかけたなと、今でも反省しております。配布された印刷物を頼りに、礼拝の流れを肌で感じ、見つめるだけでした。今でも、その傾向は見られます。それは私自身の悪い癖であり、私に原因がありました。他の、カトリックやプロテスタントの教会を回っても同じです。神父や牧師の説教、また信者間で交わされる、細かい連絡事項が耳に入ってきませんから。ただ、回りの信者の方々の様子を観察することに終始していました。
そして、出席者の中に車椅子の青年と、その母親が来ていることに興味を持ちました。式が終わりかけた頃、車椅子の青年の顔が生き生きと輝いていることに気づきました。非常に不思議な思いを抱いたものでした。喜びに満ちあふれていて、本当に輝いていました。後日、母親に手紙を書いたような記憶がありますが、すっかり忘れてしまいました。
当時は、新教会については、カルト的な集団かしらと警戒しておりました。でも、あのヘレン・ケラーが大きな影響を受けたスウェーデンボルグに魅せられた人々が集まるところです。それが妙に、心の中に引っかかっていたのでしょうね。少しずつ、スウェーデンボルグの残された著作を理解していくにつれて、ヘレン・ケラーは何を知ったのかが、段々にわかってきたのでした。「私は、自分が死んだら、目も見えるし、耳も聞こえる人として生きるかもしれませんよ!」と、ヘレン・ケラーは親しい知人に話されました。だからこそ、彼女は一生懸命になって、与えられた人生を生きられた訳ですね。
「お情けで救われる訳ではありません」とは、長島師が手紙で書いていたことでした。今では、長島師の言われたことを理解できます。聖公会の牧師でしたが、名説教者として知られるフィリップス・ブルックスは、ヘレン・ケラーに言われました。「ヘレン、全ての人のための宗教は、ただ一つだけです。それは『愛の宗教』です。あなたは、全身全霊を尽くして、あなたの父である天の神を愛さねばなりません。そうしていくことが天国への鍵を握っていると言えますし、いつの時代でも善の力が悪の力よりも強いと言うことを忘れてはなりません」と・・・
彼女の歩かれた人生を思う時、私は本当にダメだなあと、改めて私自身の意志の弱さを嘆きます。今までの人生を振り返ってみる時、ただ恥ずかしい!でも、何度躓いても、何度でも「やり直し」のチャンスを主は与えてくださいます。私は私で、これからの人生を、私なりに頑張っていきたいと思います。最後に、「主のまことは奇しきかな」の歌詞の二番、三番を書き写します。

🎵はるもあきもなつふゆも
 つきもほしもすべては
 主のまこととあわれみと つきぬ愛をあらわす
 大いなるは主のまことぞ
 朝に夕にたえせず
 みめぐみもてささえたもう
 たたえまつらん わが主を🎵

🎵罪びとらをあわれみて
 すくいたもうみめぐみ
 よろこびみちのぞみもて
 仕えまつるうれしさ
 大いなるは主のまことぞ
 朝に夕にたえせず
 みめぐみもてささえたもう
 たたえまつらん わが主を🎵

心の中で、何度も歌いました。