最後の審判と霊界の諸相

『最後の審判と霊界の諸相―遺稿―』論考一


林 昌子


はじめに
 長く神学研究に従事してきた者からみるエマニュエル・スェーデンボルグ『最後の審判と霊界の諸相―遺稿―』(柳瀬芳意訳、静思社、1976年。以下、『最後の審判』と略する。)をテキストとして、本書に現れているスウェーデンボルグの思想を読み解くことが本論の目的である。
 最終的には、本書をとおして浮かび上がってきた三つの論点について神学的見地から俯瞰することになる。しかし本論でこれらすべての論点を扱う紙幅はない。今回は、それらの論点を浮き彫りにすることを可能にする、スウェーデンボルグ神学の前提としての神学的装置について述べる必要がある。つまり、どのような神学上の学説によってスウェーデンボルグ神学の論点を浮き彫りにすることが可能になるのかという点から話を始めなければならない。具体的な論点についての論考は、次回の機会としたい。
 一応、今後扱うことになる三つの論点を予め挙げておくと、①贖罪論への批判、②モラビア派によって表わされている汎神論的神秘主義への批判、③「流入」思想と新プラトン主義の伝統、である。

霊界の理解について
 『最後の審判』における、実に生き生きとした霊界についてのスウェーデンボルグの記述を私たちはどのように捉えたらよいのか。たとえば、近代オカルティズムや神智学などその流れの見地からは、彼の霊界描写は相当なリアリズムをもって受け入れられることになるであろう。一方、自然科学の諸分野からは、論証が今のところ不可能として退けられそうである。
 キリスト諸教会はどうだろうか。スウェーデンボルグによって旧い教会として表現され、本書において、ことごとく地獄で醜態を晒している様子を描写されている当の諸教団あるいはそのメンバーが、彼の霊界視察に対して好意を寄せるということは、なかなかに想像し難い。
 では神学はどうか。神学は、スウェーデンボルグの霊界描写を、論証不可能として退けるのだろうか。
 神学は、それを受容するかどうかを問題にするのではなく、それへの解釈を試みるであろう。
 そこに言及する前に、まずは、スウェーデンボルグが霊界で見たというの「イギリス人」「ロンドン」を検証してみよう。この箇所に限らないが、彼によると、霊界の諸相は私たちが生きる自然界、つまりこの世とそっくりだと言われる。だとすれば、彼が霊界でみたロンドンは、18世紀のロンドンであり、イギリス人とは、スウェーデンボルグが生きているうちに接することのできたイギリス人である。だが、彼がみたロンドンおよびイギリス人は、私たちが今日、自然界で見るそれらとは大きく異なっているのである。
 当時と今のロンドンを比べてみよう。当時のロンドンは、シティ区からウェストミンスター区にわたるテムズ川沿いを中心に発達し、その規模は、感覚的には江戸時代末期の江戸の町のような感じであろうか。今でもその地区は中央ロンドン(Central London)として機能しているのは確かだが、18世紀当時のロンドンは全体として今のそれよりもはるかに規模が小さかった。その後ロンドンはますますその区域を広げ、現在では大ロンドン(Greater London)には三二の区があり、感覚としては現在の東京都全体という規模である。
 スウェーデンボルグが本書で描くホルボーン、ウォッピン、イスリントンとムアフィールドといった場所を地図で確かめてみると、霊界と自然界では東西南北が異なっているようで、自然界に暮らす私たちには位置関係が分かりづらい。それはともかく、これらの地域はシティ区からさほど離れておらず、当時のロンドンがごく狭い範囲に限られているのが現代との大きな違いである。
 次にイギリス人についてみてみよう。スウェーデンボルグがみた霊界では、イギリス人「の多くは天界の教義を受け入れ、……新しいエルサレムへ入ってくることが認められた」とある(2頁)。また、イギリス人の中で魔鬼になる者は僅かしかいないともある。しかし「イギリス人」についても、この二百年あまりの間、イギリスの人口を構成する人種や宗教はもちろんジェンダーも含めて、18世紀当時とは比較にならないほど多様になっている。18世紀においてイギリス人という場合、それは白人、しかもアングロサクソンの国教会信徒が想定されていたであろうが、今ではそれはかなり無理がある。他の都市でも、特に大都市ではそうだ。マジョリティは依然として白人であるかもしれないが、今は移民を含めマイノリティの人口なしでは都市は成立しない。ちなみに現在のサディク・カーンロンドン市長は、パキスタン移民の子で労働者階級出身のイスラム教徒である。
 霊界の「ロンドン」や「イギリス人」もまた、自然界と同様に、今では一八世紀とは異なった広がりをみせているのだろうか。その問いに対しては、現代におけるスェーデンボルグと同様の能力をもつ人を探し出して、霊界を視察してもらい、その話を聴いてみるしかないのだろうか。
 だが神学は、そのような時空の違いによって生じるズレを扱うことに慣れているので、そのような人を必要としないし、要求もしない。神学の歴史の大部分は、そのようなズレを検証し、その結果をどのようにキリスト教信仰へと生かすかを問題にしてきた解釈学であったといっても過言ではないからである。

ブルトマンの非神話化論
 20世紀前半の神学界では、ドイツを中心に聖書解釈学が隆盛を極めていた。その方法論は現在にいたるまで、聖書学の初歩として、キリスト教学を専攻する初学者が必ず学ぶことになるが、キリスト教会を含め一般社会にはいまだに馴染みのないものである。
 その方法論の中から、第二次大戦中、新約学者ルドルフ・ブルトマンによって提唱された学説が「非神話化論」(*注)である。それは聖書の高等批評という方法論から生まれた聖書解釈のための一装置、と言い換えてもよい。非神話化論は、聖書に記された神話論の実存論的解釈とも呼ばれている。聖書は神の言によって記された宣教の書であるが、同時にそれは、人間によって記された言葉集でもある。(さらに、それがどのように編集されてきたかたという問題もある。)
 聖書に記された人間たちによる表現は、その書かれた当時の、そして当地の表現方法、宗教用語、価値観によってでしか表現され得ない。それらをブルトマンは「神話」と表現するのであるが、それらの神話は、約二千年前という時とパレスチナの地域という、時空に制限された上で記された物語である。しかしそうであるならば、古代人ではない近代人として、しかも古代の限定的・地中海沿岸を中心とした狭い「世界」ではなく、五大陸に広がる様々な世界で暮らす現代の私たちは、それらの神話をどのように扱えばよいのだろうか。
 この問題について考えをめぐらせたのは、実はブルトマンが初めてではない。これは、広く一九世紀以降の近代神学にとっての大きな課題でもあった。そして、たとえばブルトマンの一世代前には、ドイツを中心に宗教史学派と呼ばれる人々がいた。宗教史学派の関心は、原始キリスト教における証言について、史的批判を徹底的に行うことにあった。イエス・キリストについても「史的イエス」と「信仰のキリスト」を区別し、聖書をテキストとして分析することを含め、当時・当地の世界史的出来事についての真実を追究することに関心が向けられた。
 そしてそのような動きは、20世紀における新約聖書学の発展に大きく貢献した。さらには、1945年ナイル河畔ではナグ・ハマディ写本が発掘されたことでグノーシス研究が飛躍し、また、1947年にはクムラン洞窟で死海写本が発見されたことで、イエスの生きた時代のエルサレム近辺の宗教集団の多様性が一層明らかになった。さらに最近三〇年ほどでは、海洋考古学の成果によって、2、3世紀頃に地中海に面したアレクサンドリア近郊で沈んだ都市における、当時のキリスト教の多様なあり方が明らかにされつつある。
 閑話休題、非神話化論に話を戻そう。本論でなぜ、非神話化論に言及するのかという点である。非神話化論(Entmythologisierung)という言葉によって、古代人の世界観に捉われた非科学的な神話を現代人はもはや受け入れ難いのだから、新約聖書の神話を否定せよと勧められているのではないかとの連想から、非神話化論が拒絶されることがある。その背景には、従来の自らのキリスト教信仰が脅かされるのではないかという恐怖心があるのであろう。しかしそれは、非神話化論の誤解である。
 非神話化論の目的は、新約聖書に宣べられた神の言(使信、ケリュグマ、メッセージともいわれる)とは何かを伝えることにある。その手段が非神話化なのである。当時に記された神話を通して伝えられる、今、ここに生きる私たちへの神のメッセージとは何であるのか、それをテクストの分析や歴史検証を道具として、それらを抽出するのが非神話化の作業である。たとえば、キリストの復活物語を通して、神は私たちに何を伝えようとしているのか。ヨハネ福音書の使信と、マタイ、ルカのそれは必ずしも同じではない。それによって神はどのような意図を私たちに伝えようとしているのか。その学的営みが、福音書の新約解釈学である。
  そして思うに、この非神話化論を新約聖書学の方法論に限定せずに、スウェーデンボルグの思想や体験の理解に応用することが可能ではないだろうか。
 スウェーデンボルグ自身、18世紀に至る神学をよく研究していることが、『最後の審判』からからもよく伝わってくる。贖罪論、自由意志論など、彼がしばしば扱う用語、思想からもそれは明らかである。彼がルター派牧師の子息という出自であることを考えれば、そこに意外性はない。次回以降の拙論で、冒頭に挙げた『最後の審判』が伝える神学上の各論について述べていきたい。
 最後に、本書における「仁慈」という翻訳については問題を提起しておく。英訳を確認した限りでいえば、仁慈と訳されている用語はlove である。神学ではこれは伝統的に、「愛」と訳されてきた。仁慈という、儒教の倫理、あるいは仏の慈悲をを思い起こさせる「人として世界を慈しむ」感情と、西洋におけるloveが伝える愛のあり方は大きく異なっている。
 20世紀半ば、アンダース・ニグレンによって、ヘレニズム世界における「愛」の用語と意味の多様性が検証されて以来の時代に生きる私たちには自明となった真実の一つについて言及する余裕はない。しかしヘレニズム世界の愛概念をどのように解釈し、それをどのように翻訳するかは、一つの大きな論点であり続けてきたことは指摘しておきたい。

*注 非神話化論についてはブルトマン『新約聖書と神話論』(山岡喜久男訳、新教出版社、1956年)。また、それへの神学的評価として野呂芳男『民衆の神 キリスト―実存論的神学完全版』(ぷねうま舎、2015年)を参照。