鈴木大拙へのスウェーデンボルグの影響

鈴木大拙に及ぼしたスウェーデンボルグの影響

高橋和夫

 スウェーデンボルグに触れ直接・間接にその影響を受けた日本人は少なくない。鈴木大拙もその一人であり、彼はスウェーデンボルグの主著4冊を翻訳出版、その小伝も自著として出版した、スウェーデンボルグの最初の体系的な紹介者である。
 大拙がスウェーデンボルグ書の出版に取組んだのは40歳前後の数年をかけてであり、出版が完了した頃、十数年の米国滞在から帰国、学習院と東大の英語教師となった。
 米国ではスウェーデンボルグに出会う前に、老子の『道徳経』や大乗仏教の経典を英訳し、帰国の数年前に「新教会」関係の英米人の勧めを受けてスウェーデンボルグ書の研究・翻訳に取組んだ。大拙にとってこれが「人からの依頼による」片手間の仕事のように見なす者もいるが、誤りである。
 大拙は後年、東西思想・宗教のブリッジ・ビルダー(架橋者)となって世界をまたにかけて八面六臂の活躍をし、文化勲章を受章、ノーベル平和賞の候補にもあがり、96歳の天寿をまっとうした。
 彼の画期的業績の一つは、東洋ないし日本の禅(特に臨済の思想)の達意の英文による欧米への紹介である。彼がキリスト教世界に向けて仏教経典を翻訳したり、著述・講演などで仏教を紹介したりしたとき、そのキリスト教理解と無縁だったはずがない。本稿の目的は、彼のキリスト教理解がスウェーデンボルグのそれに近かったということの検証である。27歳のとき大拙は処女作『新宗教論』を出版した。この中には、仏教のみならず、キリスト教、イスラム教、ゾロアスター教など、世界の宗教についての該博な知識と理解が見られる。この書は「新宗教」なる一派を樹立しようとしたものではなく、宗教・教説・組織を超えた、宗教そのものの真実、真理を追究したものである。晩年に結実することになる「大悲」「大智」という大乗仏教の根本概念や「霊性」という言葉も既に現れている。
 大拙がスウェーデンボルグの名や「新教会」という名称を初めて知ったのは、筆者が調べた限り、やはり処女作出版の頃である。1896年発行の雑誌『禅宗』第14号に、大拙はエマーソンの著作の読後感をつづった「エマーソンの禅学論」を発表した。大拙は神秘思想やエマーソンの思想が禅に近いと感じたのであろう、エマーソンの次のような文章に注目して和訳している(丸カッコは筆者注)。
「ソクラテスの嗒然(とうぜん)(忘我)、プロチナスの冥合…ポールの改宗、ベーメの暁光…スウェデンボルグの開悟、是等は此種(禅に似たもの)に属するものなり。」「…ニュ・ゼルサレム・チャーチ派の道(ことば)の心眼を開くと曰ひ…メソヂスト派は経験と曰ふ、各々其名を異にすれども、かの個人的霊体が宇宙的霊体に冥合するとき生ずる所の歓喜畏敬の情動を説くに至りては即一(同一)なり」。
 このように若き大拙はエマーソンの著作から、禅の思想に近いものとして、スウェーデンボルグや新教会のキリスト教を知ったのである。むろんこれは一過性の知識にすぎず、大拙がスウェーデンボルグ書に取組む十年以上も前のことである。
渡米して数年を経た1900年、31歳の大拙は仏典『大乗起信論』(前二世紀頃のインドのアシュヴァゴーシャ、漢訳名・馬鳴(めみょう)の著)の英訳書を出版した。この頃大拙は、「世の禅を評するものに告ぐ」と「博愛主義と人種主義」なる小論を発表し、当時の仏教やキリスト教を厳しく批判している。
 「…従来の仏教的著書は仏教の歴史的研究にして、僅かの学者の間に弄(もてあそ)ばるるに過ぎず。…『十二宗綱要』の英仏訳の如きあれど、一般の読者には何の効能もなし、吾等にすら解し兼ぬる梵語又は直訳的シナ語を更に英仏訳したるなど、却て普通の読者を遠ざくる嫌あり、もし仏教を伝播せんとの目的ならば、其精神をとりて今日泰西の思想・文字に訳し、必ずしも原語に執着せざるを可となす。…従来泰西の学者が仏典を訳する如き一字一句も苟(いやし)くせざらんと欲する結果、仏教を死物視せる嫌あり。…基教(キリスト教)のバイブルも其精神を離れて文字のみを解したりとせよ、処によりては如何にも不人情極まると思はるるふしなきにあらず…、また空中楼閣を画く底の太平楽と思はるるふしなきにあらず…。吾人は文字言語の葛藤を離れて別に宗教的生涯なるものあるを信ずるが故に…一切の矛盾・衝突を含むとも、吾人は尚ほ此間に…大活路あるを認むのみ」(『桑港(サンフランシスコ)仏教青年会会報』第1巻第4号)。
大拙はまた西洋人によるキリスト教の東洋への布教に対して激しい非難を浴びせている。
 「…基教徒は何を以て教祖の本旨に称(かな)ふを得るとせんか。予の意見は左の如し。先づ卿(きょう)(君)等が自家の文明を以て無条件的に世界無比なりと信ずるを止めよ。…次に東洋布教の方法として卿等は…シナに入る宣教師をして孔孟の教訓を異端とし排斥することなからしめよ。仏教の信者を罵(あなど)りて偶像の前に叩頭(こうとう)するものと道(い)ふなかれ(卿等の基教もある意味に於ては十分に偶像教・感覚教なるを忘るるなかれ)。…基督は神の子なりとか、肉体的に蘇生したりとか、三位一体とか、マリアの処女的懐妊とか云ふ、其他雑多の妄想を一蹋に蹋翻(とうほん)して、基督の精神を直下に宣伝せよ。…卿等若し之を為す能はずとせば、其伝道の資にあらざるを思ひて、敢て東亜に来たらんとするなかれ。…予が以上の言をなすは、仏教に同情を有するを以てにあらず、宗教全体の進歩を願ふが故に、宇宙一般に平和光栄の輝くを欲するが故にすぎず。仏教徒と雖も其迷信の外に光明を認むる能はざるものは、同一の攻撃を辞する能はざるなり」(『桑港仏教青年会会報』第1巻第11号)。
 キリスト教批判の矛先は内村鑑三にまで及んでいる。1903年、鑑三が43歳、大拙が33歳のとき、大拙は「北米の片田舎より」と題されたエッセイの中で、鑑三を「音に聞きしよりは頑固な基教徒」と呼ぶ。それは鑑三が「他の群れと同じく、欧米の文明を基教に帰し、亜細亜の文明を仏教に基づくとし、而して前者を後者より優れりとなす陋(ろう)見(けん)を有するが故」である。そして「予は内村氏の如き論者を見るごとに日本の基教徒の尚ほ鬼面を被りて群童を嚇(おど)かすの愚…を憫むを禁ぜず」と言い放つ(『新仏教』第4巻第7号)。
 同年、大拙は「基督と仏教」なるエッセイを発表し、仏陀と基督を比較して「仏陀は基督よりも一等上に位せり。基督はわろく云へば迷信家なり、宗教狂なり、癇癪持ちなり、其後に世に神の子なりとか、真理の化現なりとか云ひて崇めらるるは、其人物の真価値を評定したるにはあらで、後代の人が無闇に金箔をつけたるに由る」と皮肉る。このエッセイは「予は敢て耶蘇を低くせんとするにあらず。歴史事実の上に現れたる所を飾りなく述べたるのみ」(『新仏教』第4巻第12号)と留保がつけられて終わっているとはいえ、スウェーデンボルグの教説に出会う以前の、若き大拙の伝統的・一般的キリスト教への違和感が透けて見える。
 さて話は飛ぶが、この後大拙は30代終わりからスウェーデンボルグの研究・翻訳・出版に4、5年取組むことになる。1913年(大正2年)には訳書四冊、小伝一冊の出版が完了し、その間ロンドンで開かれた国際スウェーデンボルグ学会に出席し、学習院と東大の英語講師となり、ビアトリス・レーンと結婚している。
 1913年発行の『新仏教』第14巻第1号に載せた「雑録数条」と題された小論は、大拙のスウェーデンボルグ観をじかに知りうるものとして注目に値する。「雑録」とはいえ、ここにはスウェーデンボルグに対して抱く率直な感想が15項目の文章にまとめられている。大拙自身「新教会」の教理書である『新エルサレムとその天界の教理』を丁寧に訳出しているにもかかわらず、この「雑録」中には教理や神学が一切言及されておらず、スウェーデンボルグの宗教思想や霊的体験の本質への共鳴が中心に語られる。紙幅に余裕がないので、その一部にあたる数条を書きとめる。
 一、…予の考にては、此現実の世界に何か一の霊知とでも云ふべき世界があるやうに思はる。…吾等の日々の生涯は現実と霊智との両方面にかかるものなるに似たり。
 一、スエデンボルグは此両界の関係を以て相応(コレスポンデンス)にあるものとせり。彼の宗教哲学には一寸分明になりかぬる所もあるやうなれど、表面の荒唐無稽なるに似ず、其裡には頗る意義深遠にして理路明達せる所あり。此相応論の如きも其一なり。
 一、現界の生涯は霊界よりの流入によりてこれあるを得るものとす。猶ほ影の形に従ひて存するが如し。カントはスエデンボルグの怪談に近きを笑ひたりと伝ふるものあれど、カントの現象界・実体世界の説は正に是れスエデンボルグの相応説なり。
 一、…霊界にては隔りはあれども空間はなく、経過はあれど時間はなし。スエデンボルグは此間の消息を説きて微に入り細に入り、少しも洩らす所なし…。
 一、スエデンボルグは、人は此世に死してかの霊界に出づるものとなせり。否、吾等は既に霊と形との両界に住するもの故、死とは此形骸の破滅、即ち霊体の離脱に過ぎざるものとす。霊体そのものより見れば、固より死なるものこれあらず、其見聞する所も亦現界の見聞する所と異ならず、但々形骸の束縛を離れたるものに過ぎずとなす。
 一、…此感覚世界以外か、又は此世界に即して、一種の超感覚的世界あるは疑はれぬに似たり。理屈を云ふことはとに角として、吾等もし或る種の経験をつむときは、此肉体のままにてかの世界の消息を多少か知覚し得るものに似たり。これを一種の神秘的経験と云ふ。

  最後に、大拙の仏教理解―これは時折、独創的すぎると仏教学者からも批判される―に、スウェーデンボルグ研究がありありと反響していることを簡潔に述べたい。大拙は大乗仏教の根本を仏の「大悲」と「大智」と考えた。この「仏」を彼は、西洋人にわかりやすいように、文脈によってはGodと訳すこともあった。「大悲」の英訳語にはthe Great Compassionを、「大智」にはthe Great Wisdomをあてている。これがスウェーデンボルグのDivine LoveとDivine Wisdomに相当することは自明である。すぐれた、禅とキリスト教の比較研究をされた、元英知大学学長の岸英司(ひでし)神父は、モントリオール大学の博士論文(英文)で、「悲」と「智」を大拙がloveとwisdomとも英訳したことを指摘されている(Spiritual Consciousness in Zen from a Thomistic Theological Pointof View, Montreal, Canada, 1966,p.27)。
  また大拙博士に長年師事された仏教学者、古田紹欽氏は1991年のNHKのラジオ放送番組「こころをよむ―鈴木大拙を語る」でやや回りくどい言い方だが、次のように述べている。
  「仏教の根本思想は『大智』と『大悲』に要約されるということが、先生の仏教学に対する主張の帰結をなすと考えられますが、そのことはスウェーデンボルグの主張する神性・神愛・神智から何らかのサジェッションを受けられるものがあったのではないかと思うのです。先生の仏教学の最終的な問題として霊性ということがいわれることになるのですが、その霊性についてもおそらくスウェーデンボルグがいっていることに無縁ではないのではないかと考えます」(同番組のNHKのテキスト、131―132ページ)。
  鈴木大拙とスウェーデンボルグは宗教において何よりも「善」をつねに中心にすえた。スウェーデンボルグの文章と、大拙が生涯大切にした彼自身の言葉(写真)を書きとめて本稿を締め括りたい。

All religion has relation to life, and the life of religion is to do good.
(E.Swedenborg)

To do good is my religion. The world is my home.
(D.T.Suzuki)

                               
この記事は、『JSA会報』31号(2019年)に掲載された高橋和夫氏の論文を転載したものです。

➡夏目漱石