追悼文鈴木桂子

高橋先生、滝沢岩雄さんの思い出


鈴木桂子
高橋先生と個人的にお会いし、会話する機会は生前ほとんどなかったと思う。唯一、私から先生にお願いしたいことがあって電話をかけたことがある。それが最初で最後の思い出となった。結論から言うと非常識であったが、8時間近くの長電話になってしまった。電話の内容は自然的な話題が多かったが唯一聖言に関する質問を受けたことが、教会人として先生と交流できた良き思い出として記憶に残る。先生の質問は、マタイ20章「ぶどう園の労務者のたとえ」の解釈であり、特に16節の「後の者が先になり、先の者が後になる」という意味と「1時間しか働かなかった労務者と1日中働いた労務者と同じ代価を支払った」主の思いを模索しておられるようであった。確かに「天の御国」がなぜぶどう園の労務者の働き方に例えられるのか、自然的生命の常識では11節のように主人に文句をいうだろう。私はその時は「天界の順位は自然的な生命より霊的生命の方が先になる」という意味をその場で答え、後日私なりの資料をコピーし郵送させていただいた。先生は学生を指導する教授の職務なのか、数日後丁寧な葉書を頂き、その中に一部訂正するというご意見と、「良く分りました」という言葉が添えられていた。今思えば私の様な者にこのような質問をするという事は、先生の心情の中に真理への情愛が誤魔化されず正直に、誠実にあって、ご自身と向き会う姿勢を貫かれていたのではないかと勝手に想像してしまう。先生は最後までご自分の職務を通して、真理の探究を前進させた教授であったと私は思う。
滝沢さんが高橋先生と同時期に亡くなられたという事を耳にした。私は生前、彼とは高橋先生以上に、電話ではあったが多く交流していた。同じJSAの会員である。私は滝沢さんとの思い出も語りたい。彼は生前霊的夢の話を数回となく私に語ってくれた。それも同じ夢の話しである。今回その話を紹介したい。滝沢さんは夢の中で「大勢の人々が広くて大きい道を楽しそうに会話をしながらそれぞれ自由に通りを歩く姿を眺めていたという。とにかく大勢の人数でみな同じ方向に進み、しばらくすると道の前方に真っ黒な大きな穴が口を開いていた。人々はそれに気づかず楽しそうに進み、そして皆その穴の中に吸い込まれ堕ちて行った。彼はその情景を唖然として眺め、そして恐怖に襲われたと言う。固まった身体が少し緩和されて、目をそらすと細くて緩やかな上り坂の道に気が付いた。その道はキラキラと光り輝いて何とも美しかったので、ほっとして目が覚めた。」滝沢氏の思い出はこの話に尽きる。この話は霊界日記:5798に説明されている。天界に通じる道は、隅の親石までは地獄へ通じる道と同一であるという。悪い者も善い者も送っている道徳生活は同一であるが動機は異なると言う。そしてその道は導いていく真理を意味している。ある距離に達した際、道には死後の天界と地獄の分岐点の石が置かれているが、善良な者たちはその石を見たが、悪い者は見なかった(見えなかった)。滝沢さんはイエス様の神的人間性を心から承認されていたのだろうと私は感じた。彼はその証として夢の中で生前「隅の親石」を見たのだと私は思った。