先駆的功績

スウェーデンボルグの霊性に関する先駆的功績
                                  
劔持晃一


1 混沌とした現代社会
 霊的能力が覚醒し開花したスウェーデンボルグは晩年に霊的世界の見聞や思想などをこの世に伝えるため、その霊的世界の使者・伝達者としての役割に徹し、膨大な霊的な著作を残した。このスウェーデンボルグの仕事が先駆けとなり、その後、霊界(天界)の天使(高級霊)による霊的能力のある人間を媒体とした霊的世界の情報伝達は様々な手法で繰り広げられており、それらは著作・映像・芸術・学術・宗教など様々な媒体で残されている。現代社会でも、そのような情報伝達は展開中であるのだが、一向にマモン(金銭)崇拝は衰えをみせていない。その背景としては、戦争、政治・経済・法律的争い、科学信仰の進展など、現代社会は複雑さを増し一段と物質至上主義を呈している。その煽りであろうか、精神的疾病を患う者は急速に増加し混沌とした社会模様となっているようだ。
 このような現代社会の状況であるが、スウェーデンボルグの霊的仕事を振り返ってみることにより、ひとり静寂の中に佇み、守護・指導する霊界の霊(天使)と共感することによってインスピレーションの閃きに導かれ、霊的エネルギーの充足に繋がると思うしだいである。

2 人は死なない
スウェーデンボルグの歴史転換的な基本的な功績としては、生命に死はない、死を超えて生命は連続したものだということではないだろうか、それを彼の実体験から著作として業績を残したことではないだろうか。その辺りを『天界と地獄』の中に見てみたい。
スウェーデンボルグが他界で対話した多くの人の代表的な証言として、「以前と同じように人間として生きているのを(地上の人に)伝えてもらいたいのです、(死ぬとは)一つの世界からもう一つの世界に移住しただけです、わたしたちは何らかを失ったとは思いません、以前と同じように身体とその感覚があり、理性も意志も、考えも情愛も、また感覚も欲望も世の中にいた時と同じです」(312)と述べ、肉体がないということだけで他は同じということを伝えている。また、「(死んで)霊になったときも、この世の肉体と同じ肉体のうちにいるとしか思えないし、自分が死んだことさえ気づいていない」(161)という人もいて、死はごく自然な世界から世界への移行のようである。
ただ、毎日のように夥しい数の人が死んでいるのに、死後の世界の実情が伝えられていない原因ついては、世俗的・肉的な外部のもので心が占められ飽和状態だったため、天界の光に対応する内部の心が開かなかったからだという。スウェーデンボルグの時代でも肉と世俗を愛していれば先に進もうにも忍び寄るのは暗闇だけ(312)と記しているように、現代社会でも、科学技術の進展により各国ともにさらなる経済発展(外部)を急いで構築しようとしている状況では、死後も生活があると伝えても外部のもので飽和状態である多くの人間には伝わらないだろう。

3 自己改革
神の秩序(摂理)について教わると、人は天使になるように造られていることがわかります(315)とスウェーデンボルグは記しており、人はこの世を通さなければ、天界(天使)にふさわしくなるように自己改革をすることができない(360)として、この世はその過程の試練の場(天界への初等教育の場)であることを示している。
では、どのように自己改革が進められるのか。人は真理を通して改革されるが、真理は理性によって受け入れられるといい、それは人の曲がった意志を矯正改革するためであり、その真理を通して、意志から沸いてくる情欲を抑制するためという。「人は理性によって真理を考え、それについて話し、実行することもできますが、自分で自ら、つまり心から真理を願い求め、それを実行するのでなければ、意志の発動を通して真理を考えるようになりません。人が心から真理を願い求め、これを実行するようになると信仰から出発して理性で考え、愛から出発して意志で考えるようになり、理性と意志が今や一つになっているように信仰と愛が一つになっている」(424)という。
このように理性の対象である真理が意志の対象である善と、しっかりと結びついていればいるほど、また、真理を願い求め、それを実行に移せば移すほど、自分のうちに天界をもつ(425)という。
人はこの世で自らの理性的判断で、外部に留まるのではなく内部を開いて行き、日常生活の中で世俗的な事象に溺れず、物質的な影を志向し外部を満たすのではなく、天界に対応する理性の光で内部を開花させて行くように、自らの意志で理性の光に合致するよう実践して行かねばならない、ということのようだ。

4 今、求められていること
 以上、スウェーデンボルグの功績は多々あるが、ここではその中での基本的功績を見てきた。この基本的功績を理性的判断で批判し、日常生活の中に取り入れて行くことによって、理性的判断から確信が生まれ、その確信が信念へと昇華され、信仰に至ることで、スウェーデンボルグのように内的世界が開け行くのではないだろうか。内的世界が開け行く人が多くなればこの世も改善されるであろうし、さらには、天界へ進む人が多くなれば、霊的世界との交流も活性化することになり、この世も少しは進化された試練の世界へと成長することになろう。ただ、この世での人生は天界の天使になるための自己改革の一過程であると伝えても、富の優劣がモノサシとなっているこの世界で理解を示してもらえるのか疑わしい。さらなる混沌とした危機的な状況の眞中に突入しなければ、人間の内部は開けないのだろうか。このような現代社会こそスウェーデンボルグの霊的仕事の成果を必要とする状況に置かれているのではないか。
鑑みるに、信仰とは各々異なるものであり、宗教団体が同じ信仰を押し付けている状態から脱し、信仰の多様性を確立する時代に移行しなければならないと思う。
 
(注)参照した『天界と地獄』は長島達也訳(アルカナ出版)及び、鈴木大拙訳(講談社学術文庫)を使用した。また、当該箇所の番号を付した。