愛は学び成長する

愛は学び成長する


松下美智子

 今年3月、50年来の信仰の友が、病気のため主に召されました。淋しさと共に、今までの交わりに「ありがとう」の感謝の気持ちでいっぱいです。独身の頃、京都の下宿先で出会い、通っていた教会は違っていましたが、お互いがクリスチャンであることに主のご配慮を感じました。彼女は関東の方と、わたしは京都の主人と結婚したことで離ればなれとなり、お互いの事情で40年以上もお会いする機会はなかったのですが、お手紙や電話での交流は途絶えることはありませんでした。
彼女は地元の教会に通いながらも、以前差し上げたことのあるスエデンボルグの著作も愛読していました。(教義理解が全て一致というわけではなかったのですが。)家庭でのいろいろな問題を抱えながらも、聖言を愛し、自己点検と悔い改めを怠らず、攻撃的なところや妬み嫉みの感情からはほど遠く、穏やかな性格で純粋な情愛の持ち主でした。教会で感動した説教テープや実践的本等もプレゼントしてくれたり、とても学びがあり、大いに役に立ちました。また、『コリント第一』12・4~11にあるように、主から与えられた霊的贈物を用いてお互いが仕え合い益となるよう訓練され、兄弟姉妹の相互愛が育っていることを聞いていましたので、とても良い刺激を受けたものです。

「あなたがたに新しい戒めを与えましょう。あなたがたは互いに愛し合いなさい」(『ヨハネ』13・34)

 この互いにという相互愛の大切さを改めて感じさせられています。ことわざにも「世は相身互い」「お互いさま」「持ちつ持たれつ」の助け合う思いやりの心が大切です。一方的でなく相互的でなくては愛は成り立ちません。主だけ一方的であり、私達は受ける器で、感謝でお返しするだけです。人の同情心を用いたり、都合のいいように相手の愛を利用する人がいます。(自身の失敗した経験から)

「ヘビのように賢く、鳩のように素直になりなさい」(『マタイ』10・16)

 この聖言は私にとても必要です。人は分かち合うことで幸せになると、脳科学データがあることを最近知りました。ほんとにアーメンです。友愛・友情は対等な関係であり、共に尊重し合い、痛み喜びを分かち合い、学び成長していく、これが理想です。
 この世では、多種多様の価値観や性質の違う人々との人間関係で幸不幸の感情を経験したりします。主から一人ひとりが教わるのは、自分のもっている愛の理解度にしたがっています。(『神の摂理』172・5)

彼らの聞く力に応じてみことばを話された。(『マルコ』4・33)

人のうちに宿っている天界といっても、皆同じではありません。それぞれのもっている善の情愛とそこからくる真理の情愛によって違います。(『天界と地獄』319)

2001年に他界した主人が、一ヶ月を過ぎた頃、あまりに落ち込んでいた私を気遣ってか、早朝、夢でなく幻で「見えなくなっても、いつも一緒だよ」と「最後まで耐え忍ぶ者は救われます」(『マタイ』24・13)のメッセージと共に元気な姿で会いに来てくれたことを今でも鮮明に覚えています。(主の憐れみだったと信じています。)霊的アップダウンをしながら心の旅は続いていますが、愛する夫や親しかった方々といつか相見る日が待ち遠しくもあります。
 外出のままならない不自由なコロナ禍でも嬉しいことがありました。高原剛一郎さんの本『コスモスの花のように、君が天国に行った日』と出会えたことです。愛する妻への熱い思いの詰まった内容に心が惹きつけられ、今まで誰とも分かち合えずに心にしまっていた胸の痛みが一気におそってきて、読みながら涙がとまりませんでした。喪失感や悲哀・苦しみがよく理解でき、共感することで心が癒やされてくるのを感じたのです。伝道者である高原さんは再婚なさった後、ユーチューブ等で精力的に活動なさり、表現力のすぐれた賜物をもっておられ、ユーモアがありとても人気があります。私は特に剛チャンネルが大好きです。
みことばは両親・教師・説教者・書物、それから特に自分の読書をとおして間接的に教えられます。(『神の摂理』172・6)
 人は皆、再生を目指し、それぞれの性質に応じて外的・内的試練や訓練がありますが、目標は永遠の幸福です。