追悼文生出

証し


生出勝己

 高橋先生が旅立たれてから数日したある日、仕事先の電気ロックのドアをマスターキーで開けようと前に立ちました。まて、何かがおかしい。ドアが約30度内側に開いていました。ドア下のわずかな隙間にはドアストッパーなど挟んだ覚えもありません。事実それはありませんでした。その上にはドアクローザーが着いており、開けたら必ず閉まるようになっています。クローザーの油圧はかなり強く自然に開くことはありません。それよりも電気ロックのドアです。カチャッとドアが閉まると同時に、わたしだけが持っているマスターキーがなければ誰も開けることができない構造になっています。そのためのセキュリティーシステムですから。電気的・機械的なエラー、あるいは偶然の出来事どれもありえません。一瞬とり肌が立ちました。
 しばし黙考、この事象は何を意味しているのだろうか。
何かのメッセージなのだろうか。そのように逡巡していると高橋先生のイメージが脳裏に浮かんできました。
 「俺は生きている」何故かわたしはそのように捉えました。そうか…この世の科学では証明できないけれども現にこの目で観ている。それで充分ではないか。それ以上の詮索は止めにしました。その日以来このようなエラーは一度も起こってはいません。
 アノーマリーとはノーマルでないもの。標準・正統・正常・正規・定例ではないもの、したがって、超常・異常・異端・異例・変則的なものすべてを表現することばとして便利に使われます。
 アノーマリーな現象・物象・事象を扱うアノーマリーの科学は、主流をなす体制側科学界からは異端とされ、意味のある研究も傍流とされ表舞台には出てきません。
 しかし、この無視されている分野にこそ真実の萌芽が見え隠れしているように思います。
 人間死んだら土に還る。有機的な生き物は微生物に分解されてやがて時とともに土になる。それはあたりまえの考えで間違ってはいません
 素粒子から大宇宙まで、単細胞・多細胞・人間まで、あらゆる組織が情報エネルギーシステムなら、意識もまた情報システムとして死後も存続するのでは?これは精神生理学的アノーマリー。
 竹林は地下茎ですべてつながっています。人間の脳を大宇宙の仕組みに例えるなら、脳中枢神経にある神経細胞の一つ一つはシナプス結合しながら情報交換をしています。したがって、一つの神経細胞の意識情報は瞬時に隣接の神経細胞に伝達されます。でも今の脳科学では手足などの抹消神経レベルではあらかたその働きは解明されていますが、脳中枢神経のアノーマリーな分野、例えば臨死体験のように意識(魂)が肉体を離れたあとに起こる現象については説明出来ていません。
 立花隆氏、石原慎太郎氏ともに鬼籍に入られましたがお二人とも「虚無」ということばを残しました。普通に解釈すれば何も無いということでしょうが、智の巨人が
そんな説明で納得するはずがありません。
 実体としての物がないこと。有無のはからいを超えて、空(くう)であり、真実そのものである無為自然のこと。
 かつて宇宙の真空の中には何も存在しないといわれていた時期がありました。ところが今や量子論から「心の世界とあの世」を解き明かす時代になりました。
 「虚無」言い得て妙です。