知性と霊性

知性と霊性
           

生出勝己

私たちがこの世に生を受けるとき、その元を辿れば、大元はたった一つ受精卵です。この細胞が分裂を繰り返して増え続け、ある段階を超えるとまったく違う性質を有する細胞群に分かれ、いろいろな臓器を形成していきます。
 でも、何故か、一つの受精卵からは、細胞分裂により同じ遺伝子を持つ細胞だけが増えていくはずなのに、不思議なことに心臓や肝臓、脳や神経など機能も外見もまったく異なる臓器が出来ていきます。計り知れない生命の神秘がそこにあります。
 この臓器あるいは組織群の分化は、細胞が一定の分裂の段階に達したところで、万能細胞つまりES細胞が登場します。
 ES細胞の一つひとつは、自らの意志のように、俺は手になる、俺は足になる、あるいは目になるといったように、人間に必要な機能に分化していきます。IPS細胞を作った京都大学IPS細胞研究所の山中伸弥先生は、人間の体の中には、生命活動に必要な情報ネットワークが、あらゆるところに張り巡らされていると言及されています。
これは、突き詰めれば、人間の細胞のすべてに意志が存在していることになります。意志の根源はどこからくるのでしょうか。
 ある研究者は言います。「思考には力がない」科学の世界で研鑽を続けた上での結論です。そして知性、理性は、人間の根源的なパワーを高めることにはならないと述べているのです。
 「情動」という言い方はあっても、「知動」「理動」という言葉はありません。
 先ほどの山中伸弥先生も「人間の考えることなんかより、ずっと自然のほうが奥深い。考えるとは、感動することだ」と話されています。
 さらに、重度の脳障害を負ったある医師は「わたしの人生はチャレンジャーではなくチャレンジド、つまり神が与えてくれた人生です。神は背負えないような苦しみは与えない。すべては天の決めること。私に多くのことを学ばせてくれたこの人生に感謝したい」と語ります。
 このように、感動するとは、換言すれば感情の躍動と捉えることができます。
 スウェーデンボルグはこのように言っています。
 自然界の人間に心と体があるように、霊界の霊にも心身がある。霊の心は「霊的な心」、体は「霊的な身体」という。この霊的な身体についは、自然界の肉体と同じように有機的に組成されている「人体」である。いっぽうの「霊的な心」は、人間が死後に突然有するものではなく、生前に潜在的に形成した内面の心が、いわば「開かれた」ものである。(スウェーデンボルグ『天界と地獄』一四七) 
人間の本質は「霊である」と聖書に記述されています。霊性という言葉があります。シンプルに解釈すれば、真理を学び生きることであると考えます。
 知識は、知性を育み知恵を生み、生きる力となります。いっぽう、霊的知識、すなわち霊識を学ぶことは霊性を育み、霊知を高め自然の摂理、ひいては霊界の法則と一体になると考えます。
 したがって、知性と霊性を融合させることは、内的な意識を顕在化し、私たち人間が生きる上での大きな原動力となるでしょう。
 冒頭のES細胞の不思議な分化の過程の指示は、どこから来るのかの命題は、知性と霊性(霊界の霊的知性)
が混然一体となって協力しながら、この自然界の森羅万象の複雑な構築に関わっていると考えます。