追悼文瀬上

高橋和夫先生を偲んで
瀬上正仁

 高橋先生の最後のご著書『スウェーデンボルグのことばと思想』が手元に届いたのは令和3年9月のことでしたが、いつも添えてくださる自筆の手紙が無かったことから、病状があまり芳しくないのでは、と気に病んでいたところ、年末に先生の訃報に接することになりました。先生が昇天されて半年以上たった今も、先生を失った悲しみと喪失感から脱することができないつらい毎日です。
 思い返せば、高橋先生と初めてお会いしたのは昭和四七年頃、仙台の神道家・勝又正三師の集会でのことでした。当時私は18歳、先生もまだ20歳台後半だったと記憶しています。先生は、物理学者の東以和美氏、日本基督教団の金井康夫氏(サンダー・シングの紹介者だった金井為一郎師の縁故者)とご一緒に月一回の集会に参加され、勝又師と熱心な議論を交わしておられた様子が昨日のことのように懐かしく思い起こされます。
 以来高橋先生には、私が仙台の集会を引き継いでからもことある毎にご指導いただき、三冊の拙著を出版する際にも大変なご助力をいただきました。そんな中で、日本人の心でスウェーデンボルグ神学を受容する事の必要性について二人で常々語り合っていたことが後の「日本スウェーデンボルグ協会」の発想に結びつく形になったのですが、これも二人が共に学んだ勝又師のご遺志を汲んでのことでした(私は勝手に高橋先生のことを勝又集会で共に学んだ兄弟子と考えていました)。
 ところで、高橋先生の絶筆のご著書の「まえがき」の中に、ご自身の死を予感しておられたような文章があることには、今も心を痛めています。そしてそれ以上に、わが国におけるスウェーデンボルグ研究・普及の第一人者であられた先生のご苦労が滲み出ていると感じました。
 高橋先生の学者としてのお立場上、他の宗教学者との学問的な論戦に臨まざるを得なかったとしても、スウェーデンボルグの場合はそれがあくまでも霊界から見た宗教思想である以上、煩雑で難解な議論を好み、唯物論的な傾向のつよい宗教学者たちを論破するには常にどうしようもないもどかしさが伴うものです。死後の世界から見た普遍的な宗教の在り方を教え、それを基に人はどのように生きるべきかを教えたのがスウェーデンボルグ神学本来の姿であり、先生の最後のご著書ではそのことが強調されていると感じました。
 今や神の世界におられる高橋先生の今後のご活躍を、心から願うばかりです。