神の国のために

神の国のために


鳥田悦子

 いま一番会いたい人は?と聞かれたら、30余年前に亡くなった父と答えるだろう。父には一生を通して理解してあげられなかったことを謝りたいと思うのである。
 幼い時は別として思春期を通り越しても、何か批判的な目で見ていた様な気がする。ただ表面には現すことはなく父の伝道の仕事も手伝ってきたし、父もそんな私を喜んでくれて大切にしてくれた。
 おそらく高校時代頃、風邪をひいて寝ていた時、父が頭痛のする私の額に手を置いてしばらく祈ってくれた時のことを、最近になって思い出し作った歌がある。

 手を置いて祈りし父はうなずいて足音低く温み残して

確かに痛みがすっと消えて祈りの力を感じたことを今でも思い出す。
2017年に父の『私の出エジプト』を編集するに当たり、「―導きの跡を顧みて―」とか「―随想集―」などを読み重ねるにつけて改めて父の生涯を顧みてその偉大さを感じずにはいられなかった。
 現在父がなくなって34年、私も父の年を越えようとしている。
 あまりにも身近にいて、苦労知らずの私には、父の深いところまで洞察する心の余裕がなかったのだと思う。
 キリストを例に挙げるのは余りにも恐れ多いが、「預言者が敬われないのは、自分の鄕里、家族の間だけです」(『マタイ』13・57)。父が預言者だとは思っていないが、この聖句を思い出す。
 父(鳥田四郎)の伝道者としての姿は、以前のJSA会報に姉(鳥田恵)や高橋和夫氏が書いて下さっているので、お読みになった方はいらっしゃると思う。そこで宗教的活動ではなく家庭での人間としての姿を父にお詫びの気持ちを込めて書いていこうと思う。
 父の葬儀の日に、ある姉妹達とお話していて、直近の父の様子を聞かれ、「テレビを見たり・・・」などと話すと、「まあ先生はテレビをご覧になっていたのですか?」と驚かれた。
 いつもの難しい聖書講義や新教会誌から察するとよほどの堅物でテレビなど見ないと思っていたのであろう。
 私達の子供の頃はテレビなどはなく、みんなでラジオにかじりついて子供向けのドラマなど聞いていたが、父も一緒に下村湖人の『次郎物語』など聞いて話題にしていた。テレビが家に入ってもニュースは勿論のことスポーツでも野球、相撲など忙しい原稿書きの合間に楽しんでいた様だったし、夏の高校野球など熱心に観戦していたことを思い出す。私達姉妹は野球には殆ど関心がなく父がルールなど説明してくれてもチンプンカンプンだった。
 朝ドラも朝食後に見る習慣で、特に『おしん』は母と熱心に見ていて、私が職場から帰るとあらすじや感動を話してくれた。
 科学的なことに大変興味ある父は1970年の大坂万博にも家族と一緒に行く機会にも恵まれた。
 その数年前、私が車の免許を取る決心をすると「お父さんも」と言って試験場に通い始めた。父はもともと技術系の人だったので車とか機械が大好きだった。新教会誌発行のため忙しい合間を縫って大層の期間を費やして満62歳の誕生日に免許を取得した。
 我が家にいらして下さるお客様を駅までお送りすることを何よりの喜びとしていて、その大変ぎこちない運転は皆様を不安にさせたのではないかと思っている。今思うに何の事故もなかったことは神様の御憐れみに他ならないと感謝している。
 堅物で頑固、信仰ひとすじの父であったが、娘として今思い出すのは、気が短いなどの人間的弱さもありながら、正直で純粋、温かい心を持った人であったと思う。
 これらの思い出を辿りながら今、私が一番出来ることは何かとしきりに考える様になった。
 60数年前に「出エジプト」して厳しい新教会の開拓伝道を始めた父であったが、今は時代も変り、新教会の真理は変らなくても伝道の仕方も広く心理学、哲学も含めて人類の精神的、神秘的な成長のための宗教に伝道が求められているのであろうか。
 戦後しばらくして父も含めて新教会の伝道に携わった方は何人かいらしたと思うが、今その人達が日本の新教会の現状をどうみているだろうかと思うのである。
 私自身が日本全体の新教会のことを全部把握していないにもかかわらず、またスウェーデンボルグの書物を全部読んでいないにもかかわらず、今、勇気を持って自分の考えを書かせていただこうと思う。
 最近、横浜新教会の國枝欣一牧師から「横浜新教会通信」を送って戴いている。その五月号と六月号の「日々のこと・・・」欄に、東京新教会に牧師として復帰なさりたいとの強い決意が書かれてあり、その記事に心を動かされた。
 東京新教会は、現在國枝牧師が去られて以来、初代牧師の遺族によって教会堂が管理されているが、無牧の状態にあり礼拝や活動が行われていないという。そもそもその教会堂は初代牧師の米国の友人からの寄付で建てられたものであるが、宗教法人となっており、土地も初代牧師の個人のものではないということも伺った。
 その初代牧師も次の牧師も天に召され三代目の國枝牧師が就任して20数年、どのような事情であれ、せっかく米国の方の尊い寄付で建てられた教会堂を、新教会の伝道のために使えないということは誠に残念なことだと思う。今や、その米国の方も、初代の牧師や次の牧師でさえも、この世的な束縛から解き放たれて神の国に在る人として、教会堂を生かして欲しいと願っておられるのではないかと考えてしまうのである。
 私の父は教会の建物よりもその中身をと言って、生涯、都営住宅の一室で集会を続けた人だったが、今の状態をどう思っているのであろうか。これからの日本の新教会の堅実な成長と発展を願っているに違いない。
私は父へのお詫びと尊敬を込めて、父と同時代に命を懸けて伝道をしてこられた方々に感謝して、東京新教会が、これからの日本の新教会の伝道の拠点として活用されることを心から願っている。そして、今や飼う者のいない迷える羊のようになっている人達の礼拝堂として、寄付して下さったスウェーデンボルグ関係の書物を学んだりする場所として、またJSAの集会の会場として活かしていけることを。
現在、國枝牧師が新教会通信に記していたように「80歳を目前に、東京新教会が日本の新教会の旗手として働くべく、牧師として復帰しよう・・・」と心に決め「私にとっては精神的にも肉体的にも過酷な試練」であっても、主が御心として下さるならば必ず実現することと信じている。そして将来、誠実で立派な後継者にバトンタッチするまでお元気で神の国のために働かれることを願っている。