追悼文鳥田

高橋和夫先生の思い出


鳥田悦子

 高橋和夫先生のことは、父や姉を通して何十年も以前から存じ上げておりましたが、6年程前、私が父の『私の出エジプト』を出版するに当たって交流が始まり大変お世話になりました。
 哲学者・宗教学者としての先生のお姿は他の方にお任せして、人間的な面で私が心に残っていることを書こうと思います。
 先生の歌集『天狼』、『螢火』を読み、素人ながら大変感動いたしました。
 その頃、私は最愛の妹を天に送り、心に溢れる思いのやり場に困っておりまして、自己流短歌をノートに書き留めておりました。
 緊張しましたが、先生にお電話し、私の稚拙な作品を見ていただけることになりました。一回目は赤ペンで真っ赤に染められて返ってきました。再度、また再度送りました。最後には、丁寧に添削してお褒めの言葉と励ましを戴きました。
 先生は永年教育に携わり多くの若者を育ててこられましたので、私のような老人をも励ましてくださることもなさったのだと思い感謝いたしました。
 先生の短歌は、小さな花々、昆虫たち、小動物をこと細かに観察し、愛情を注がれた作品で満たされています。
 JSA会報第28号に掲載されていますが、若き日に郷里の佐渡で全盲の鍼灸師の方の手をひいて教会に出席なさったことが書かれています。
 もともと心の優しい青年だったと思いますが、この最初の教会出席の時に「ルカによる福音書」の「よきサマリヤ人」の個所を学びキリスト教の隣人愛に初めて触れられました。
 後年、聖書の「隣人愛」は、「かわいそうに思う(あわれむ)」がキリスト教の神髄であり新教会の愛であるとの思いに至られました。
 一見、気難しく学者肌で近づきがたい感じもしましたが、若き日に出逢った「隣人愛」がやがて新教会の学びにつながりました。スウェーデンボルグのいう「信仰のいのちは愛」の思いが、先生のお人柄や人生観、また短歌などの文学作品にも表れていると思います。
 まだまだご活躍なさることを期待しておりましたが、主の御心により天に召されました。心から有難うございましたと申し上げます。