追悼文林

高橋和夫先生へ—最後の手紙


林 昌子

 高橋先生との初めての出会いは、2016年、日本スウェーデンボルグ協会の大会が世田谷の東京新教会で行われた際であった。JSAのホームページを拝見して「参加してみようかな」という気になり、何の前触れもなく、当日飛び入り参加したのが出会いの始まりである。
 初めて訪問する教会の玄関先で、真っ先に私を迎え入れてくださったのは、お連れ合いの高橋千春さんであった。あの時の千春さんの温かい歓迎がなければ、会の初日からJSAの皆様に溶け込み、今、私がこうして拙稿を書くこともなかったかもしれない。
 その会が終わる頃には和夫先生もまた、私に興味を抱いてくださっていた。質疑応答の際に、私がスウェーデンボルグにおける「不条理」の扱いについて質問をしたことが、先生の学問への情熱に触れたのかもしれない。その時の高橋先生の学者としての真摯なご反応に、私も「スウェーデンボルグをもっと知りたい」という思いをかき立てられた。
 以来、コロナ禍で世間が閉じられることになる2020年の早春の頃までの4年間、高橋先生は師であり、哲学、文学やキリスト教学などについて語り合う同志であり、私を再び大学院へと導くために尽力を惜しまなかった恩人であった。
 ある時には、夕ごはんをご馳走になった。奢られるのが苦手な私は、その時、「では出世払いでいつかこのご恩をお返しします」と申したら、そんなものはいらない、でもそうしたいのであれば、いつか後進の人に同じことを、とおっしゃった。
 このごはん代のエピソードが、次のことの象徴的な出来事となってしまった。高橋先生から何か「よろしく」などと告げられたことはなく、実に私の勝手ではあるが、高橋先生から託された自分なりの何かを背負っていると私は思っている。もちろん人は多かれ少なかれ、お互いに何かを託し託されながら生きている。私はまだこの先しばらく、それら託されたものを背負い後進に伝えつつ、四苦八苦しながら生きなければならないだろう。高橋先生、これからも私たちを見守り、力をお貸しくださいますように。