追悼文大賀

恩人高橋和夫先生


大賀睦夫

高橋先生には多くの著述があるが、今、私が思い出すのは、講談社学術文庫『スウェーデンボルグ』第5章「普遍宗教への道」中の一節である。

「スウェーデンボルグの教説は、あまりに平明・直截なので、肩透かしを食ったような感じを抱かせるかもしれない。それは実際、ごく常識的な宗教であり、道徳である。こうしたあたりまえの宗教の価値は、独善・偏見・排他といった、宗教が陥りがちな歪んだ側面によって傷ついた者に、いちばんよく分かるであろう」。

ほんとうにそのとおりだと思った。高橋先生のこのことばに心から共感した。それは「宗教の歪んだ側面によって傷ついた者」が私自身だったからである。1995年当時の私の気持ちを高橋先生が代弁してくださっているような気がした。スウェーデンボルグの常識的なあたりまえの教えが心にしみた。しかし、おそらくそれは私だけではなかったであろう。高橋先生ご自身もまた「宗教の歪んだ側面によって傷ついた者」の一人だったと思う。だから私がほぼ限界まで苦しんでいるとき、私の気持ちをほんとうによく理解してくださり、慰めてくださった。高橋先生は誇張なしに私のいのちの恩人だった。
高橋先生とお会いして30年近く、住まい住所は遠く離れていても、手紙で、電話で、いつもいろんなお話をさせていただいた。JSAだけでなく、人体科学会でも一緒に活動させていただいた。プライベートでは、八年前に佐渡島に行ったときに、先生のご自宅に泊めていただいたことがある。このときは両津港から佐和田へ、佐渡の平野をお遍路しながら歩いたが、彼岸花の季節で、稲刈り後の田んぼが遠くの山裾まで広がり、畑にはそばの白い花や色とりどりのコスモスが咲きほこっていた。そして佐和田の砂浜の向こうに広がる真野湾は、波ひとつない穏やかな海だった。佐渡にもこんなに穏やかな自然の風景があるのかと思った。そのような豊かな自然の中にある先生のご自宅周辺の思い出の場所を案内していただいたが、ほんとうにお幸せそうだった。高橋先生は、今ではご病気から解放され、霊界のそのような穏やかな自然の中を自在に歩かれ満喫されておられることだろうと想像している。
高橋先生、ほんとうに長い間お世話になりありがとうございました。