山本2022

高橋先生との「文通」
                  山本 康彦

私が高橋和夫先生と知り合うきっかけとなったのは、先生による新刊案内の葉書をいただいたことからでした。
 スウェーデンボルグに関する翻訳を出しておられる先生自らの葉書に有頂天になった私は、さっそく手紙を書きました。すると、今度は封書で、私のこと(住所など)を知ったきっかけや、『持続するヴィジョン』などの新刊予定のスケジュールなどを書かれた返事がきました。
 手紙の最後に「八月一日」の日付が書かれてあり、新刊の情報から1992年にきたものとわかります。当時の私は25歳でした。
 これをきっかけに「文通」が始まり、後に『JSA会報』の編集(4号~21号)を先生とすることになったのでした。
 先生は、私の手紙をいつも隅々まで読んでくださっていて、原稿用紙にびっしり、すべての問いに答えてくださっていました。私の問いは、主に仕事での悩みであり、時には恋愛の相談であり、スウェーデンボルグ関連の話は意外と少なかったと記憶しています。
先生は、「森田療法」など、私の理解に合った有益な情報を随所に提供してくださり、それを力にして、いろいろなトラブルを乗り越えてきました。
 『JSA会報』の編集や、JSAの運営において、私が失敗したり、トラブルを起こしたときでも、先生はいつも私の味方になってくださり、力強い文章で励ましてくださいました。
 私が家庭を持ってからはJSAの活動につけなくなってしまい、第9回大会の仙台でお会いしたのが最後でした。ここ数年は、年賀状でのやりとりしか交流がありませんでした。しかし、私は決して先生を忘れていたわけではありません。私の中では、いつも先生との「文通」で得た知恵を生かし、また私に悩みを相談してくる人へ伝えてきました。
 高橋先生が、故鳥田四郎牧師の追悼号に「先生の存在は、つねに私の信仰の羅針盤であったように思われてならない」と書かれています。これは、まさに私と高橋先生との関係にも言えることであり、良き師に巡り会えたことを神に感謝しています。
 そして、私もまた、息子へ良き師になれるよう努力して行きたいと思います。
 高橋先生ありがとうございました。